楽しいことを選べるということ

●しばらくキモ女記事ばっかりだったのでたまにはRO(逆
●ROをやっていて私が楽しいこと
キャラクターがかわいく(強く、面白く)なっていく
友達になりたい人と交流を深めて会話ができる
自分の必要なアイテムをそろえる
他人が欲しいものを用意してあげる努力ができる
●このゲームを極めると育成ゲーになるわけですが、何故人はROになると感覚が狂うのでしょう
子犬を飼っていたって、一日で成犬にならないことをみんな知っているはずなんだけど。
育成の様子をだらだらと思い出せるような遊び方が好きです
●育成の様子よりも、成犬に育て上げるまでの速さや一時間に詰め込むカリキュラムの吸収率が好きになってしまう人がROには沢山います。
それはそれで一つの立派な主義ではあると思いますが、上に書いた通り子犬は一日で成犬になりません
勿論2日や3日でも無理なんですけど。
そう夢見ることも、努力することも間違ってはいないしその人にとっては立派なことですが、残念ながら私にはあまり価値があるとは思えません。
にも関わらず、「価値があるよね?」と確認作業も抜きで、知り合いの知り合いが突然話を振ってきたら普通の人は引くと思いますが
●ROだと何故か引かない っていうか価値を誇るのが当たり前だと思ってる人が沢山いるねって話
●ダイヤモンドが価値があるのは大変希少で、長い年月をかけて出来上がるものだからですが
ROにおいての自慢話は、ダイヤを誇ることではなくむしろダイヤを入れてある箱を大きくしていくことを自慢する内容が多いですね
箱が大きくなっても価値は変わりはしないのに
自分が楽しいと思うことを選べるということは素晴らしいことだと思います
思いますが、それは他人に自分の楽しいと思うことを選ばせることではありませんし、他人に「おまえのやり方は楽しくない」と言うことを禁止させることでもありません
思っていることを素直に聞いてあげたい と思うような人とだけ付き合うことが「つまらない」ということを避ける道だと思います
どちらにしろ、他人の意見を聞いていてはダメな世界だと思い知りました
自分が選んでいくこと、見たままのその人を判断することで自分の身を守ることは、現実と何ら変わりがないということです
●話は変わって某所の悪ケミさんに憧れて、まあそのまんま悪ケミを作ったわけだけど
たのしいいいいいいいい
マゾ職が楽しい自分は結構末期な気がしないわけでもないけど、実はケミはそんなにマゾいわけじゃないですね
「育成しなくても楽しい」というか、低レベルでもただ楽しく遊べる職だと思います
お金があったりレベルが高くなるとなお楽しいけども。
伸び悩むのが当たり前だから、敵一匹一匹倒すのが面白いってこともあるかも。
●まあますますROの人間関係を嫌いになりながら楽しく生きています
ただ、純粋な悪意が苦手です
悪意そのものの人間も、それに惹かれる人も
惹かれる人は、今まで付き合ってきた人たちを悲しませることを知った上でお付き合いするといいですね
同類扱いされて黙ってる人はなかなかいないと思いますから
●世界中みんなが仲良くできないのは、誰かを選んで付き合うということが誰かを悲しませるからかもしれません
もし本当にみんな仲良くと思っている人は酷く憎まれるだろけど、その理由は、その人が全ての人を平等に扱うことが、全ての人を同じようにないがしろにすることと何ら変わらないから なのかもしれないとたまに思うわけです
宗教の偉人は、生涯誰をも憎まなかったことは崇められるべきかもしれませんが、生涯誰をも特別に扱わなかったことは現代の人間には理解され難いのかもしれない とか
何でROでこんなこと考えてるのか自分でもわからん
●こんなgdgdな文章書いてる最中に6月が終わりそうなんだけど、原稿が半分も埋まっていないという。

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