[書籍]娚の一生

某レビューを読んでしまってから書きたいことがぶれてしまった。
実際には5月に書き始めた記事だったんだけど。
西炯子 娚の一生を読んでいた。

娚の一生 1 (フラワーコミックスアルファ) 娚の一生 1 (フラワーコミックスアルファ)
価格:¥ 420(税込)
発売日:2009-03-10
娚の一生 2 (フラワーコミックスアルファ) 娚の一生 2 (フラワーコミックスアルファ)
価格:¥ 420(税込)
発売日:2009-10-09
娚の一生 3 (フラワーコミックス) 娚の一生 3 (フラワーコミックス)
価格:¥ 420(税込)
発売日:2010-03-10

西炯子の本と出合ったのは高校生のとき。
正確には西炯子の「絵と」出合ったのだった。
当時地方のピコ同人高校生だったわたしは勿論というか何というかボーイズラブにのめり込んでいて、
10歳のときに始めたチェロは殆ど触っていなかった。
それでも週に一回はチェロと出会ったきっかけになった小学校の恩師の元で室内楽をやっていて、
必然的にクラシックにもボーイズラブにも興味があるという状態が続き、
そんなときに出会ったのが西炯子が挿絵を務めていた富士見交響楽団シリーズという小説だった。
今回の本筋ではないので割愛するけども、
富士見交響楽団シリーズで得た知識はいまも充分に生きているし西炯子の書くオールバックの指揮者の絵はわたしの書く絵に大きな影響を与えたと思う。
何より影響を受けたのは西炯子が当時連載していた「三番町萩原屋の美人」からだった。
カラーインクでの水彩画のような薄い塗りや、服のしわから髪の毛筋の書き方までかなり大きな影響を受けた。

三番町萩原屋の美人 (其ノ8) (Wings comics) 三番町萩原屋の美人 (其ノ8) (Wings comics)
価格:¥ 530(税込)
発売日:1997-03-25

三番町萩原屋の美人というシリーズはオムニバス形式で、
明治時代の東京に生きている老舗のご隠居(実年齢70代、見た目20代)と
そのご隠居の死んでしまった奥さんを準えて造ったロボットを中心に起こる事件のお話。
少女漫画に分類してしまうには少し不思議な話が多いので、
話の筋を追うのが割と難しいけど全巻あると面白い。
他にも「水が氷になるとき」といったシリアスな青春もの
(友人が体から草の芽が出るという症状に悩まされて冷たい湖に投身自殺する話)、
「さよならジュリエット」といった異端の恋愛話
(かつての同級生がニューハーフになっていて恋愛関係になって別れる話)
と色々な雰囲気の作品があって揃えて読んでいた。
その後完全に女性誌に移ってしまったこともあってしばらく新刊を読んでいなかったのだけど、
本屋に行ったところ今年の注目書として平積みにされていて驚いたのが「娚の一生」だった。
【内容】
大手電機会社で役職付き30代半ばの完全売れ残りの堂園つぐみ。
祖母の家で長期休暇を過ごしていたところ祖母が亡くなってしまった。
社内で不倫関係にあった男性との関係清算後自分の幸せについて考えていたつぐみは
在宅勤務を申請して祖母の家で暮らすことを決める。
が、いつの間にか見知らぬ壮年男性が祖母の家に居ついてしまい同居することになる。
祖母から鍵を受け取っていたというその男性は東京のある女子大の著名な教授である海江田醇だった。
海江田はかつて祖母に恋をしていたのだという。
しぶしぶと同居を始めたつぐみだったが、いつの間にか海江田に結婚を迫られるようになって戸惑いを隠せない。
海江田さん、51歳だけど燃える男。
つぐみに迫るのもごく自然なんだけどさらっと
「恋なので仕方ありませんでした」
と言ってしまうこのメンタリティが特異だけどかっこいいんだよなあ。
哲学の教授ということだけどエッセイストでもあり、
非常に合理的だが誰も思いつかないような持論を展開してくるので憎めない。
壮年のくせにメガネ美青年の雰囲気を残しているところもかわいい。
対してつぐみは既婚者ばかりに狙われて捨てられるという典型的な薄幸の女性かな、とも思うけど
本人自身が不幸だと感じる関係しか作れないのはとても哀れな感じ。
勿論、つぐみを狙う男達にも問題があるのだろうが
恋愛に関するメンタリティだけに問題があるキャリアウーマンという矛盾した存在が共感を得やすいところなのかもしれない。
ところで年齢の割に非常にかわゆく書かれていて、
おしゃれだし髪のアレンジも色々できるし
「今までまっとうに結婚できる機会があったのでは?」と思わないでもないけど
そこがリアルなのだろうか。
書籍としてはよくあるように見えてあまり存在しなかった壮年期の恋愛期を描いたものだと思う。
自分自身が未だ海江田どころではなくつぐみの年齢すら迎えていないので余計感動が薄いのかもしれないが、
「こういう恋愛のお話」を読むことは決して悪くはないと思う。
不倫相手は白馬の王子様ではなく、
乗っていたのもぼろぼろのかぼちゃの馬車で決して魅力的ではなく、
最終的につぐみは恋愛をフィルタリングしていた自分の目に気が付く。
それでもトラブルがあったとき、優先すべき事項を決められない。
海江田が出て行ってしまうのは意外だったけど、
彼もやはり一人の若い男であることが捨てきれない部分があるのかもしれない。
最終的にはつぐみは地震を経て「結婚は装飾された夢ではなく無味乾燥なリアル」ということに気付くようだ。
この落ち方は非常に直滑降でわたしは素直に受け入れられた。
海江田といるときは戸惑いばかりで自覚はなかったろうが、
つぐみはとても幸せだったのだろうし。
ここまでは素直に読めたのだが、
この作品に「レビュー」という名でけちをつける女性が多いことが気になった。
元々は3巻が手に入らずamazonのレビューを読まざるを得なくなってしまったことが原因なのだけども。
「西炯子はラストを投げ出した」「途中からトラブルを出して適当に収めた」
という意見があり、
これは読み方にもよるが何かの作品を読むにはあまり向いていない方のレビューだと思う。
良くも悪くも、作品は作家がつくるものだ。
そのラストが気に食わないことで「面白くなかった」という感想を持つのは自由だが、
それを作者への邪推に当ててしまうのは非常に失礼なところだと思う。
面白くなければ読むのを辞める、これが普通の感性で
修正しようがない刊行された漫画に対してクレーマー気質だなと感じる。
書評として成立しているとは思えず、作家に対してダメだしできると思っているところが痛い。
それ以上に気になったのが
「地震というトラブルがあってこんなに簡単にくっつくなんて納得できない」
という(特に)女性の意見だった。
ネットで検索を打ってみると随分この意見が多いように思えた。
わたしはこの意見に一切賛成できる部分がなかったので非常に疑問だったのだけど、
同じような感想を読んでいくうちに少し分かったことがある。
恋愛漫画に自分自身の擬似恋愛を託す層というのが一定量いるように見える。
たしかに2巻までつぐみと海江田の関係は盛り上がる一方、
迷い子を拾って2人で育てても別れてしまうことや、
海江田を狙う浮気相手の存在があって付かず離れずという恋愛描写が受けたのだろうというのは分かった。
もしかしてこの展開について擬似的に恋愛行為を重ねている層にとっては、
つぐみがあっけなく結婚してしまったことが気に食わなかったのか?と思い至った。
もしこの仮説が図星であるなら、
日本で刊行される恋愛漫画はなんと無駄なことかと思う。
読者の擬似恋愛に付き合いその希望に沿う展開を書き続けなければならない。
イケメンを登場させ、主人公に思いいれやすいような設定を用意し、
その割に主人公は一部の隙もない美女でなければならない。
現実には読者が叶えられないようなすばらしい恋愛に主人公を投入し、
読者の思い通りのタイミングでイベントが起き、
読者の思い通りのタイミングで結婚しなければいけない。
これほど窮屈な要求を行われても恋愛漫画を描き続ける意義って存在するものなんだろうか。
単に展開が面白くない、ということに理由付けがない場合もある。
先が読める、あるいはあまり起こらない事態がわざと描かれるという
構成に関する冷静な批判ももしかすると存在するのだろう。
ただ、わたしにはつぐみ以上に妄想恋愛的結婚に憧れる現実の女性たちが
海江田とつぐみの関係に自分の恋愛を勝手に託して失望してしまったように読めるものが多かった。
まさか35のつぐみに感情移入できるような年代の女性が、
「白馬の王子様がかっこよく登場しなかった!」という理由だけでこれほど多くのクレームをつけるとは思いたくなかった。
本来なら恋愛漫画は完全なるフィクションで
(実際にこの作品もつぐみや海江田のキャラクターは全然リアリティがない)
実際の人生の糧にすべきもの、
娯楽として読み飛ばすもの、
知識として受け入れるものとして機能すべきだと思うのだ。
そういう意味では「読んでも娯楽が得られなかったなあ」とか
「読んでも糧にならなかったなあ」
という失望の仕方は分かるのだが、
何故ストーリーの方向や構成に対して怒りや悲しみが発生するのかは理解しがたかった。
とはいえ、最近の日本人の書評の傾向そのものが方向性を変えてきているのは否めないので
その影響を受けた部分が強く出ているだけかもしれない。
話そのものを評価するのではなく、
構成や見通しが読者に与えた知識が増えてきてしまい
テクニックや展開を作家の力量にスライドする形の批判が増えてきているように思う。
でもわたしにはどうも「自分の理想どおりに進まない漫画が面白くない」というクレームに思えてしまうのだ。
作品そのものを俯瞰して読むのではなく、
のめり込み理想化してしまうのはあまり良くないことのような気がする。
本編は非常に面白かったので、
男性にも受け入れられやすい恋愛漫画の傾向でもあるし
西炯子という作家そのものを性別関係なく是非お勧めしたい。
祖母の住んでいた地元の封建的な体質に営業スマイルで立ち向かうつぐみや、
エッセイの御大でありながら人格破綻している海江田など面白いキャラクターだと思う。
社会の様子や地震の描写はキャラクターのデフォルメと裏腹に結構リアルだ。
つぐみの言われている「所詮女の言うこと」やら「その年齢で結婚していないなんて」
という言葉への反発には共感するのではないだろうか。
こうやって描写されて分かるのだけど、
世の中には許さなければいけない理不尽が多すぎる。
でもデフォルメされたキャラクターたちがその苦しさを軽くしてくれる。
わたしは漫画そのものは非常に楽しめたのだが、
その後読者の声を読んでしまった事で非常に考えが揺れた。
慣れない恋愛漫画などうっかり読んでみるものではないと思ったが、
そのことを別にすればドロドロとだらだらと関係が続くようなものではなく
良質の恋愛漫画を読めたのだと思っている。

[書籍]サイコと官能のミスリード

我孫子武丸さんの本、
人形シリーズは読んだことがあるんだけど他は未読だったので読んでみた。
人形シリーズは和みの極地というかぼんやりした面白さが良かったのに
今作にはそのかけらもありませんね猟奇ですね。
殺戮にいたる病 我孫子武丸著 を読んだ。

殺戮にいたる病 (講談社文庫) 殺戮にいたる病 (講談社文庫)
価格:¥ 600(税込)
発売日:1996-11-14

表題のすばらしさを実感するのはラスト2ページを読んだとき。
ちなみにオマージュかパロディか分からないが、
冒頭に始まるエピローグの前に恐らくあのキルケゴール「死に至る病」の一節が引用されている。
(キルケゴールに凝って読んでいたのがかなり前なのでうろ覚え)
「ああ、それに、わたしの考えるところでは、
あらゆるもののうち最もおそるべきこの病と悲惨をさらにおそるべきものたらしめる表現は、
それが隠されているということである。
それは単に、この病にかかっているものが病を隠そうと思うことができるし、
また事実隠すこともできるとか、
この病はだれひとり、だれひとり発見するものがないようなふうに、
ひそかに人間のうちに住むことができるとか、ということではない。
そうでなくて、この病がそれにかかっている当人自身でさえ知らないようなふうに人間のうちに隠れていることができる、
ということなのである。  
──セーレン・キルケゴール」
冒頭に始まるエピローグというのは自分で書いていて「なんじゃそりゃ」とも思うけど、
この作品では一番初めにエピローグを登場させる。
その意図が完全に判明するのはやはりラスト2ページだ。
このエピローグを素直に読んだ読者はこの事件の全貌を知らないながらも犯人を識る状態となって、
結果的に我孫子の仕掛けたトリックにはまり込んでしまうようになっていると思うのだ。
【内容】
女性を次々に殺すだけでなく、その肉体の一部を切り取るというサイコキラーである蒲生稔が逮捕される。
それは蒲生の被害者となった島木敏子の妹であるかおると、
敏子の思慕の対象であった元刑事の樋口の単独調査の成功による結果だった。
蒲生家では「息子」の怪しい様子に気付いた「母」により殺人を食い止め隠蔽しようとする動きを見せるが
殺人を犯した「息子」を「母」は殺してしまう。
逮捕された蒲生稔は殺された「息子」ではなかったのか?
我孫子武丸の文体はとても分かりやすくて読みやすく、
会話文や描写が煩雑ではないところがとてもよいとは思うのだけど
エログロに耐性のない方にはとてもお勧めできない一品。
シリアルキラーというよりサイコ殺人の趣のある犯人の嗜好性は殆ど理解できないので、
犯人である蒲生稔の章は文体のせいではなくとても読み進めにくい。
最近たまたま湊かなえ「告白」で触れたばかりだが、
母子の閉ざされた狂った世界を更に掘り下げて醜く書き出している。
母は息子を自らの支配下に置き、男性として自立する息子の性に意義を見出せないでいる。
それでいて息子を絶対的に守るのは自分しかいないと思っており、
既に興味を失くした自分の夫は家庭の維持に貢献しないと切り捨て
自分の理想の中にしかない「家族」の像を守るためにモンスター・ペアレント的な思想を重ねる。
「息子」の方は非常に単純だった。
幼い頃に父母の夜の生活を盗み見たことで「母」に思慕の情を覚えるが
それを父親に気付かれ圧し折られてしまう。
それ以来彼は正常に女性を「愛する」ということが不可能になってしまった。
ただ大学内で見かけた女にいつもと違う感情を覚えたという理由で、
女を絞め殺し屍姦を行い歪んだ自意識の中で何かを満たすことを覚えてしまう。
死んだ女こそが真実の愛だと信じ、その肉体の一部を切り出すが
勿論そんなものは永遠に続くわけもなく
彼はただの猟奇的な人殺しと成り下がることに気付かない。
個人的な感想を述べてしまうと、
この「サイコ」な部分は最高に楽しい読み物なのだが
「官能」がどうしても読みにくくなってしまう。
特にセックスや女性の体に関する詳細な記述の部分に来ると
どうしても「はいはいわろすわろす」というどうでもいい気分になってしまい、
いわゆる賢者モードで物語に入り込めない俯瞰目線で読み飛ばしてしまう。
かつては「エログロ」と「官能」の区別も付かずに江戸川乱歩を読み飛ばす人間も多かったが、
低俗な大衆小説と思われていた推理小説は立派な文学として認められるようになり
その全てが一緒くたになってしまった。
ただの謎を追うだけのときに乾燥しがちな淡々とした推理小説として留めず、
セックスの描写を盛り込むことで「官能」に弱い人間が作品自体を読み間違うという事態は
自分自身よくあることだと思う。
それが本筋ではないのだが、
読むことの苦痛、また場合によっては快感に捕らわれてしまい
結局ぼーっと読んでいるような状態になってしまう。
ただ、我孫子氏がこれを意図しているならやはりすごいことだ、と最後に思わせる結末でもある。
兎も角も一番初めに披露されるエピローグにおいて
蒲生稔は犯人であり、雅子はそれを目撃する女性であることがわかる。
先述した通り「蒲生稔の章」では狂った脳によるサイコな考えで彼自身の愛のために女性が殺され引き裂かれ、
「蒲生雅子の章」では息子の部屋をチェックし支配しようとする異常な母親の価値観が描かれ、
部屋チェックにより発見される血痕や記録や被害者の肉体の一部により「息子」の言動に慌てる様子が良く分かる。
探偵役として「樋口の章」では樋口が島木かおると犯人に迫る様子を、
樋口自身の後悔や敏子の思い出、事件の調査を織り交ぜて叙情的に綴る。
そして犯人がエピローグと同じように逮捕されるが、
その様相はエピローグと同じようでいて全く違うことにやっと気付かされる。
ただのサイコとただの官能に包まれながら読んでいた読者は
叙述テクニック=いわゆるミスリードというやつにひっかかったことを意識するうちにページが終了してしまうのだ。
文中では蒲生稔は息子として描かれ、
蒲生雅子は母として描かれる。
蒲生家の中で彼らは完結しているように読める。
息子は母への思慕を持ちながら外で女性を殺し、
その様子を収めたビデオ、被害者の乳房と女性器を殺して持ち帰る。
母は息子がなんらかの犯罪行為を行っているのではないかと気付きながら、
自分自身の息子の育て方を絶対的な信頼で思い返し反省することなく行動を起こす。
ここまでで雅子は息子である稔の犯罪を止めようとするという図式が出来上がる。
だが物語終盤、島木かおるをホテルへ拉致した「息子」は雅子によって殺されてしまう。
ここで殆どの人が「ん?」と手を止めると思う。
ナナメ読みしていたわたしですら「エピローグでは犯人が逮捕されていたはず」と思う。
※ここから下を書いてしまうと無粋かと思うので分割。
ネタバレを知ってしまうと本書を読んだときに驚けません。ご注意ください。
しかし湊かなえのときにも思ったが、
母親自身が歪んでいることを何故息子に継承させようとするのかが理解し難い。
母親自身が優れた人間ではないし、
息子自身を別の性だと認識していながら別の人間だと思っているふしはない。
息子の部屋チェックの際にはマスターベーションの回数やエロ本の内容、手紙まで調べていたりして
その異様な様子に驚くが恐らくこのような母親が実在するのだと思うので薄ら寒かった。
子供の自立を許さず犯罪よりも家族の和を守ろうとする歪んだ思考。
残念ながらこのような母親をどうやって選別すべきなのかは全く思いつかないけれども。

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[書籍] 死ねばいいのに。

京極夏彦先生はルー=ガルーも書かず京極堂本編も書かず何をされているんですか
とか小言を言いながら爽快に読みきり。

死ねばいいのに 死ねばいいのに
価格:¥ 1,785(税込)
発売日:2010-05-15

正直ツンデレが好きって言うやつはみんな死ねばいいのに。Tシャツとかトレーナーの話かと思いました。

ツンデレ死ねばいいのに リブキャミソール(ライトピンク) M ツンデレ死ねばいいのに リブキャミソール(ライトピンク) M
価格:(税込)
発売日:
ツンデレ死ねばいいのに トレーナー(ライトピンク) M ツンデレ死ねばいいのに トレーナー(ライトピンク) M
価格:(税込)
発売日:

読みやすさで言うなら非常に読みやすい。
話もそれほど入り組んでいないが、ラストにやはり「してやられた!」と思う京極流の仕込みアリ。
ただわたしは「もしかしてそうなのかも」と思っていた通りの犯人だったので、
京極ファンならどこかで気付くような謎解き方法だと思っている。
ちょうど湊かなえの「告白」と同じような形式なので短編連作として読みやすいのかもしれない。
【内容】
鹿野亜佐美という女が殺された。
犯人は捕まっておらず、警察は未だ捜査中。
そんな中、亜佐美に関わりがあった人間たちの前に渡来健也という青年が尋ねてきて、
亜佐美とは4回会っただけの知り合いだが彼女のことをもっとよく知りたいのだという。
関係者たちは迷惑がるが、亜佐美のことを渋々語るうちに自分と向き合うことになる。
京極夏彦本人が六章構成にしようと思って書いたというだけあって構成はすっきりしている。
話そのものも非常にシンプルで、
作中では殺された女性「亜佐美」に関係があった人間の前に必ず「健也」が現れる。
亜佐美と友人でも恋人でもなかったが亜佐美のことが知りたいというだけの理由で
彼は関係者と一対一の問答を繰り広げる。
修験者のように関係者の本音を引き出し、それを大人しく聞いて受け止めてやり、
「死にたい」と訴える相手の言い分を「死ねばいいのに」と正面からばっさり切る。
勿論関係者は本当に死のうと思っていたりはしないので
健也に反発することでこれから生きていくための思い付きを得る。
このように書いてしまうと健也は京極の言うところの「狂言回し」「憑き物落とし」というヒーローのように読めてしまうのだけど、
最終章手前で憑き物に取り憑かれていたのは健也自身だということが分かる。
健也は殆ど自分のことは語らない若者として描かれているが、
亜佐美のことがどうしても気になったのは自分自身が空っぽだったからだというように語ることが多い。
自分は頭が悪くて学歴がなく礼儀も知らないフリーターだと。
それでもその健也と会話せざるを得なくなった登場人物たちは彼の吐く哲学のような言葉に惑わされる。
自分の人生には自分なりの理由や言い分があり、
例え亜佐美が自分のせいで苦しい辛い思いをしていたとしても自分が生きるためだったと。
弱い人間がだらだらと語る言葉がどんどんエスカレートし、
本人が生きることの辛さに感極まって「死んだ方が良かった」等と口走るとき、
健也は若者らしく明るく哲学的に「死ねばいいのに」と言うのがお約束。
しかしこのキャラクターは徹底的に自己矛盾を抱えているなというイメージが強い。
頭が悪く、空っぽでろくに考えもしない人間はここまで的確に「死ねばいいのに」と言ったりしないのが現実。
健也自身も自分が死ぬべきだと考えていることが薄々分かってきたので、
むしろこれは八つ当たりでもあり励ましでもある本人自身の問答なのではないかと錯覚する。
亜佐美は薄幸の女性の見本のような受身っぷりで、
読んでいると多少イライラするキャラクターでもある。
ただそれ以上に亜佐美を手ひどく扱った人間のキャラクターを悪く書き、
そこから健也との問答を経て「生きていてもいいんだ」と救済してしまうところが作者本来の手法だとも思うので
好ましくはないキャラクターでも不思議と愛着が出てくるように描かれている。
京極特有の「京極節」といった長い考察や薀蓄がないので、
キャラクターは現代のイメージに合ったそれぞれの生育暦を性格に素直に反映しているように感じる。
自分の身に起こった幸せについては認識せず、
不幸だと思った出来事をくどくどと述べ自分の言動には一切責任がないと言う登場人物たち、
どこかで見たようなキャラクターだと思うのはわたしが世の中を歪んで見ているせいばかりではないと思う。
こういう人、現実に結構な量存在してませんか?
恐らく亜佐美は本当に不幸だとは認識していなかったし、
死にたいと強く思っていたのかもしれない。
亜佐美自身には「生きていたい」とか「幸せになりたい」と思わせるようなものが何もなかったようであるし、
何かを待っていたから生きていたようにも読める。
でも健也が亜佐美に「死ねばいいのに」と言っても亜佐美本人は何もしない。
作中には一度も出てこないにも関わらずそこまで健也を強く縛っていた亜佐美の存在こそが
本当の隠された謎とも言えるのかもしれない。
健也自身が亜佐美を殺していたことはかなり早い段階で「もしかしてそうではないか?」というレベルだが推測できた。
関係者に話を聞きまわったのも、
自分が殺してしまった存在が結局何だったのか分からず不安を覚えたからという理由だったことはよく理解できる。
日本古来の怪談のパターンとして、
狐狸だと思って切り捨てたが後にその存在の核心を疑うような事件があり恐怖に駆られる、というのはお約束。
様式美としてはまずまずの展開なんだけど、
京極夏彦が現代版の怪談として敢えて取り扱った作品としてはとてもよく出来ていると思った。
というかわたしが京極夏彦をこれほどまでに愛して読み続けているのは、
京極氏が誰よりも「様式美」「装丁美」にこだわった文体を心がけている部分に由来するものも大きい。
亜佐美は自覚はなかったが世の中に我慢していたから死にたいと言ってしまい、
それを聞いて健也は殺さずには居られなくなったのだろうなと思う。
突然出会った女がレイプされた、母親に売られたという話をしてきてどうも人間だと思えない、
幽霊・妖怪・狐狸の類なら切り捨ててしまえばいいというのは日本古来の怪談ではよくある話、
現代で実行してしまったから殺人になってしまった。
怪談の中ではただ「女」であった幽霊やら妖怪やら疑わしい顔のないキャラクターは現代には存在しない。
殺してしまった後、「亜佐美」という女に顔や名前や人生が付属していたなら
自分が殺したものの存在を確かめたくなってしまうという健也の思考はとても普通であるとも言える。
この「殺人になってしまった」という部分を最終章でうまく消化できていると思う。
人は殺人者になるまでもなく、他人から自分がどう見えるかという「自分」のことを気にしているので
ひたすら亜佐美の存在に気を取られ続けた健也とは最後まで噛み合わない。
通常殺人者になりたくなかった人間の「殺人」は全ての終わり、結果であると言えるが
健也にとっては亜佐美を殺すことが全ての始まりだったに過ぎない。
健也がひたすら自分を殺人者と主張するのは、
亜佐美に人間で居て欲しいからだという酷く歪んだ思考によるのではないかと感じる。
ここでやっと関係者を狂言回し役として裁いてきた健也こそが一番亜佐美から遠い人間だったのだと理解できた。
彼は理解できる理論を吐く人間相手だからこそ「死ねばいいのに」と言えたし、
死ねばいいと思った相手でも殺さなかったのだと思う。
そこでただ死にたいと言った亜佐美こそが化け物に思えたというのは立派な動機になる。
通常京極夏彦の書く「京極堂シリーズ」では動機の有無は重視されない、
というよりも完全に無視される。
それと比較すると動機があり怪談の手法に乗っ取った本作は一般受けしそうなイメージがある。
また構成がくどいという指摘も多いように見受けたが、
これは連載の都合によるものだとも思われるし、「様式美」大好きなわたしとしては全く違和感がなかった。
毎回毎回健也が自分のことを頭が悪い、空っぽな人間だと語るのは最終章に向けて充分な儀式だと思うし。
「死ねばいいのに」というタイトルは京極氏本人も「これはひどい」と言っているけども、
呪いの言葉ではなくむしろ言った相手に気付かせるための言葉なので
やはりこのタイトルこそがふさわしかったのだと思う。
ただ日常の会話にはあまり登場させたくない書名ではある。

[書籍] 『告白』 アンタッチャブルをどこまで受け継ぐか

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1) 告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)
価格:¥ 650(税込)
発売日:2010-04-08

CMで爆発する松たかこを見、妹に「これ読んでない?」と聞かれ、
初めてラブストーリーではないことに気付いた。
恐らく同名か似たような書籍の紹介文を読んでラブロマンス小説だと思い敬遠していた。
映画版のCMで興味を引かれたこともあり、購入した。
本書は第一章が全ての事件の発端となった殺人事件の報復についての独白を「告白」とし、
その結果引き起こされた事件を独白として第二章~第五章で取り扱い、
第六章で破綻を迎える構成になっている。
当初著者である湊かなえは第一章のみの投稿で小説推理新人賞を獲得したと聞いたが、
確かに第一章「聖職者」のみの抜粋でも充分に機能するミステリだと思う。
ただ付属とされたはずの第六章までを続けて読むと、第一章の意味が大分変わってきてしまうところも魅力になる。
第一章のみでは恐らく映画化はされなかっただろうし、
第六章までが書き下ろされたのは恐らく必然であったことと思う。
ただ湊かなえ本人が本格ミステリの流れを汲むべきと思われるのであれば第一章で止めておくべきだった、
とわたし個人は思う。
また異色ミステリを求める読者だからこそ、第六章にひきつけられる魅力があるとも思う。
【内容】
中学教師の森口は化学を専攻とするシングルマザー。
かつて結婚しようとした相手との間に愛美という子を設けることとなったが、
夫となる予定だった桜宮が過去の言動のつけとしてタイミング悪くHIVを発症する。
そのような事情から結婚を諦め未婚の母として安定した公務員の道を選んだが、
ある日愛美は中学校のプールで溺死体として発見される。
森口は愛美が殺された理由を自ら暴き、犯人である教え子への復讐を行い退職する。
復讐されたと気付いた犯人たちとそのクラスメイトは事件の大きさを受け止めきれない。
森口が実行した報復に怯える犯人の一人である下村は母親の溺愛を逃れられず、
もう一人の犯人である渡辺は優秀だった母親に認められたいというコンプレックスでいっぱいになる。
渡辺は周囲を欺きクラスメイトを巻き込む事件を計画するが、
計画を察知した森口に本当の復讐を実行されてしまう。
あらすじを語ってしまうとそれほどたいした事件ではなくなってしまうように思えるのは、
文体が全て独白として統一されているせいかと思う。
独白という主体的な観点をいくつか組み合わせて客観を発生させているので、
独白を読んでいる最中には俯瞰しにくい。
ただその分非常に視野の狭い登場人物たちの言い訳に感情移入できる。
一番最初に読んで思ったことは、「作者はとても書きなれているな」という点だった。
書いてみると分かるのだけど、
わたし個人は会話文(独白)で小説を書くことはとても難しいと思う。
少なくとも人によって適性が分かれる執筆スタイルだと思っている。
作者本人が得意としている文体なのかどうかという点はいまだに判断がつかないが、
独白で他人の介入を許さない文体で統一したことがこの作品の成功に繋がったと感じる。
その分、未読の人間へはどのようなことを伝えるべきかという点に迷う。
読み手も情報の取捨選択を迫られるという点では非常に高度なミステリとして成立している。
ただ、先にも書いたように
第二章以降が発生したことで公正なつくりとは言いがたい部分も発生しているように思う。
特に第六章で思ったことだけど、
独白のリレーが渡らなければ読み手が知りえない事実が出てくる。
「解決編」までに推理の材料が全て出ているというのが本格ミステリのお約束だと思うので
やはりこれは本格ミステリの構成にはなりえなかったのだと思う。
本格ミステリではないのだろうが、本作の人気でミステリの幅が広いことを改めて思い起こされた。
個人的には読み手を置き去りにして自己完結するミステリというのも悪くないと思う。
本作の書評で「醜悪」「ホラー」と称される原因になるのは
やはり登場人物の非常識さ、思いやりのなさ、欠落した想像力といったキャラクターのつくりに原因があると思う。
完全に作者の意図的な描写かとは思うが、
この作品を恐れるということは登場人物たちのような恐るべき人間が身近に増えているということなのだろうか。
「人間としてどのようなことをしてはいけないか」ということをまったく教育された様子のないキャラクターたち。
それは母原病のようにも見えるが、
登場人物の母親たち自身も恐らくアンタッチャブルを学ばなかった人間たちとして描かれている。
そのこと自体は悪とは言い切れないし、
だからこそ親の世代は決定的な破綻を迎える様子もなく子供を傀儡として育てられたのだと思う。
それでも本作で醜悪だと思うところは、子が完全に親の思考をコピーせざるを得ないという部分だった。
親のコンプレックスを子供に引き継がせ、
より劣化した醜悪な傀儡である我が子の社会的な名声だけを喜び
パペットマスターとして子供を躾けることが出来ず捨てる、あるいは殺す。
思い通りにならない我が子への対応は、その子供自身よりずっと幼稚な母親たちばかり。
子供本人の思考能力などなく、
単にコンプレックスや優越感を満たすためだけの雑な演劇というイメージが強かった。
現実では触れられない深刻な問題をリアルに描き出しているが、作中では誰も気にしない。
その歪みの書き出し方が最も現実に即している気もする。
主人公となった森口自身は恐らくまともな教育を受けまともな思考を保っているものの、
娘の殺人を機にそのアンタッチャブルが理解できない人種を相手にしなければならなくなり
それがより一層報復の残酷さに磨きをかけたのだろうと思う描写もある。
悔い改めない人間に対して怨恨が募る、という逆説的だが矛盾のない怒りもよく理解できる。
といっても今現在の刑法のあり方まで触れないところがミステリジャンルに留まるスタイルであり、
変に社会派小説として変質しなかったことはいい傾向ではないかと思った。
森口は狂ってはいないものの、相手に後悔を起こさせるような方法を選ぶ人物として描かれたのだと思う。
第一章のみで終了した場合を想定するとそれが良く分かる。
残念ながら、第二章以降ではその報復が失敗したことが次の伏線となる。
何故犯人にHIV感染の可能性を知らせたのか?とか
知らせずに教師を続けていけば犯人が苦しむ瞬間が見れたのではないか?とか
第二章以降の存在によって、第一章で一度けりをつけた報復に疑問が上がるところは少し残念に感じた。
最も、「知らせること」「その場を去ること」自体も報復だと思えば解決する程度だけども。
「母原病」(提言された本来の意味とは違うけども)という単語を思い出してから
結局この作品では子供が母の代理として戦わされただけではないかと思うようになった。
ただ自分の子供の問題に首を突っ込む覚悟があった母親が森口だけだったことや、
他の母親が結局善悪の区別も付かない幼稚な人格破綻者であったことが子供にコピーされているという事実が
悲劇をより助長しているように見せかけたのだと思う。
世間的に言ってはいけないのかもしれないが、
作者本人は子供を育てない方が良い大人が存在する問題を充分に認識しているように思える。
そしてその子供の裁き方だけでなく、大人もどう責任を取るべきかという点にはあえて言及しないように読める。
森口自身を狙わずその娘・愛美を標的にした卑怯さがあってこそ、
森口が報復として犯人たちの一番のコンプレックスである「母親」に返そうとしたことはとても意味がある。
山岸涼子のホラー短編「メディア」にも象徴的に描かれていたが、
日本の母親たちは子供を所有物として意識しその存在をデフォルメ化して偏ったイメージに閉じ込めることが多いように思える。
子供は現実に生まれた物理的存在であるのに対して、
母親の知能や精神の歪みが子供の存在を「デフォルメ」というご都合主義による脳内妄想に託してしまい、
子供がそのデフォルメされたキャラクター像を離れようとするときには母親のイメージから乖離した行動を取ることになる。
このことにパニックを起こす母親が多いのはどうしてか、
という問いに対して「子供が親の所有物だから」という概念が原因だと指摘されている。
子供をありのまま見るのではなく、
親の都合の良い部分だけ褒めて成果物と見なす圧迫感はこの「告白」の第三章・第四章あたりでも良く描かれていたと思う。
森口自身が子供の様子をきちんと見ていなかったことも問題点としてよく挙げられているように思える。
ただ森口自身にも落ち度はあったが、
この点を責めるべきと思う大人の思考回路にはついていけないと思った。
発端は森口がシングルマザーで子供の面倒を見れなかったことではなく、
子供さえ標的にすれば森口を痛めつけられると思った頭の悪い子供、
それを育てた親が居たことだ。
そういう意味では本作のタイトル「告白」とは、
罪を洗い流したくて贖罪の気持ちで誰かに打ち明けるというイメージはなく
単に我侭な人間たちが独白することで言い訳や命乞いをして自己満足するイメージがとても強い。
わたし個人は子供が嫌いなので客観的に見れているとは言いがたいかもしれないが、
それでもこのように育った子供よりそう育てた母親のキャラクターのほうにリアリティを感じた。
あまりこの考えを肯定したくもないが、
本作のような事件が頻発する時代はそう遠くないのかもしれない。

[海外ドラマ]ドールハウス シーズン1

最終回まで見終わって「え?!コレシーズン2作るつもりなの?!」と思った。

ドールハウス DVDコレクターズBOX ドールハウス DVDコレクターズBOX
価格:¥ 10,920(税込)
発売日:2010-09-02

残念ながら寡聞にして「エリザ・ドゥシュク」という主演女優のことをよく知らなかったわけで、
このお姉さん、結構綺麗なんだけど口が半開きで「白痴」という単語が頭を過ぎってしまう…。
その演技がアクション人格とタブラ・ラサの判別を容易にしてくれているとも言えるけど。
【シーズン1内容】
裏世界に潜む秘密結社であるドールハウス。
「ドール」と呼ばれるエージェント達は自ら承知した上でドールハウスと契約を交わし、
自らの人格をアンインストールし「白紙状態(タブラ・ラサ)」と呼ばれる状態となって
依頼に応じた人格を刷り込み任務を達成する。
あるときは戦場を越える女スパイ、あるときは建物を知り尽くした女盗賊、
あるときは失った妻の人格を再現して理想の女として依頼者の前に現れる。
そのドールの一人であるエコーは、過去にドールハウスで起きた凄惨な残虐事件のただ一人の生き残り。
「アルファ」と呼ばれたドールの暴走事件はなかったこととされ、エコーはそのまま任務に投入され続けるが
エコーを取り巻く状況は次第に変化していく。
FBIの特別捜査官であるポールはエコーがドール化する以前にどんな人間であったか知り、
どうやらドールハウスの存在を暴こうとしているようだ。
人格変換技術の責任者であるトファー、ドールハウスの総責任者であるアデル、エコーの保護者であるボイドは
エコーを狙う存在に気付き始めるが、
ドールハウスを運営するロッサム社が人格変換技術をどんどん推し進めていくことに不安を覚える。
第一話はエコーと呼ばれる女性が一夜限りの理想的な女性人格として活動するラブロマンスから開始。
第十三話は世界中の人々がキリングマシーンと化し、人格を乗っ取られなかった人間を虐殺しまくる絶望脚本。
この差異はいったい…。
最後の一話で脚本が大幅に変更されちゃっているのかと解釈。
元々シーズン1は打ち切りの心配があったらしく、第十二話を想定内での最終回とし
第十三話は打ち切り時の放映用として製作されたものだと聞いて納得した。
本来第十三話のような話は本当の最終回か、番外編として製作されるような話だから。
でも逆に「ここまでドールハウスが人類に害をもたらすのか…」と絶句させられ、
いい意味で脚本の行方を知ることが出来た点についてはとても満足した。
キーは現在女性人格でありドールハウスの専属医師であるサンダース先生すらも
かつてドールであったところからだと思った。
ノベンバーがドールであることは簡単に推測できたし
その後電話を受けることによって人格が交代する仕組みも割と受け止めやすかったので
恐らくドールハウスの運営側にもアクティブなドールが紛れ込んでいることは分かっていたのだけども、
アルファという人格の行動の自由度の原因は
あまり説明されていなかった気がするので
サンダース=死んだサンダース医師の人格をインストールされたウイスキーという存在についてはとにかく不遇だなという印象。
死に場もなくトファーのように狂えもせずアデルのように責任を受け入れることもできず、
ただ未来まで人類の助かる道を模索するドールとして残されていたのは悲惨すぎる。
ボイドが逃げてしまったのも良く分からなかった。
もしかするとシーズン2への布石なのかもしれないが。
本作では主人公であるエコーよりも、同僚のドールであるシエラの変身っぷりがかなり面白かった。
シエラとビクターの関係の続きは結構気になるかもしれない。
またFBIでキャロラインのことを追いかけ続けていたポールが結果的にエコーの保護者になったのも面白い。
メリー=ノベンバーの扱いを見ている間は明らかにキャロラインに気をとられていて面白くなかったが、
ボイドとの戦いを経てドールハウスの存在を受け入れるようになってからはとても影が薄い気がした。
結局アルファに消された人格の殆どはバックアップがあったが役に立たなかった、というように解釈したが
本来の人格が戻されないという点はシーズン2ではどのように扱われるのだろうか。
例えばアルファはオメガという複数人格を蓄積して人知を超える悪の力を手にするが、
同じくオメガをインストールされたエコーはアルファと同じような思考には至らず善の道を模索する。
ここは「本来のオリジナルの魂」を題材にしたがっているように見えたが、
結局時間切れで詳しい部分まで説明されなかった。
この点についてはシーズン2で第十三話の脚本を覆す可能性があっても結論を出して欲しいと思う。
トファーについては本人の担当就任から人類の滅亡危機まで、
結局この研究者の想像を絶する優れた脳は善悪の区別がつかなかったんだなと思った。
ただそれは悪いことではなくとてもトファーらしい。
いつも自分の発見や発明に夢中になっていてドールとも人間味を持って接することができるキャラクターがとても好きだった。
残念ながら、自分の罪の重さや発明したものの恐ろしさに気付いて子供返りしてしまったが
自信満々に踏ん反り返りながらインストール人格のチューニングをする姿をまた見せて欲しい。
作品としては、キャストがそれほど多くないにも関わらず
人格交代のバリエーションが多いことやオリジナル人格の再現などが絡みとてもややこしい。
オリジナル⇒ドールとしての名前⇒業務用人格の名前(複数)を覚えるのもとても大変だし、
キャストの演技がとても優秀なせいか業務用人格インストール語の表情や演技まで皆違ってきてしまい
毎回人物像を把握するのがとても煩雑だと感じた。
これはストーリーが進むことで解消できる点もあると思うが、
せめてPreviousStoryの際に顔と名前が一致するような字幕があると嬉しい…。
題材としては人格の入れ替えという未だ実現していない技術を扱ったり、
インストールされた人格によってもたらされるアクション要素がとてもよかった。
カンフーの達人の人格をインストールするとカンフーができるとか、
情報分析専門家の人格をインストールすると情報分析ができるとか、
ご都合主義といわれても仕方ない部分はあるがその商品価値はとても頷ける。
ただそれが人類の滅亡危機に繋がる、というのはとても壮大な気がする。
サンダーバードがトンネルをくぐったらスターウォーズになっていたというくらいのスケールの違い。
それでも現代・未来の脚本は各々なりに面白かった。
第十三話のラスト、
暴走しかけた幼女の体に無理矢理蘇らせられてしまった「キャロライン」が
かつての自分(エコー)の写っている写真を手に取り
「わたしのボディは無事かしら」と呟くシーンはとても象徴的だった。

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[海外ドラマ]Glee Kurt- A House Is Not A Home

古典から最新の流行音楽まで、
キャストが歌い倒してしまうアメリカンドラマ「Glee」。
日本人がこういう企画をドラマ化するとどうもうそ臭い上にかっこ悪いと思うけど、
かわいいキャストにきらきらした瞳で圧倒的な歌唱力を見せ付けられるととても嵌る。
外人さんはとても絵になるなと思う。
自己実現がうまいのかな。
劇中の少年Kurtはゲイを自覚するモヤシ男。
お洒落とスキンケアに気を配り、ブランド物を着こなし、学校の人気者になりたいと願っている。
見た目はモヤシだが、フットボール部できっちりゴールを決めてしまうような気まぐれな才能も。
その美しいカウンターテノールで、女性が歌うパートを奪ってしまう場面もある。
Kurtはシーズン1の後半では同じGleeに所属するFinnに恋をしていて、
Finnとの距離を縮めるために妻を亡くした自分の父と、夫を亡くしたFinnの母をくっつけようと画策。
これが見事に成功しFinnとKurtは同居になってしまいそうという回。
Kurtがそのカウンターテノールでソロを歌った曲が「A House Is Not A Home」。
ディオンヌ=ワーウィックの往年のヒット曲でよく歌われるスタンダードナンバーとなったようだが、
わたしはそれよりもバート=バカラックの作曲という部分に感動した。
バート=バカラックは日本でも一時期ときの人となった。
美しい旋律とそれを支えるジャズ的技法によるバックバンドのハーモニー、
叙情的な和声の進行と凝ったリズムが新しかったらしく、
わたしが生まれる遥か以前に飛ぶように売れた曲たち。
その中でも離婚した男女をモチーフとした「A House Is Not A Home」がこのようにGleeに使用されるとは思っておらず、
改めてその旋律の洗練された響きや盛り上げ方に感動した。



YouTube: “Glee” Home- A House Is Not A Home

Gleeの作中で古典音楽ばかりを使えとは思わないが、
やはりキャストが歌っているのを聞くことばかりなので開放感のある曲が気持ちいい。
歌詞もとてもすばらしいと思う。
——————————————
A chair is still a chair
Even when there’s no one sitting there
But a chair is not a house
And a house is not a home
When there’s no one there to hold you tight,
And no one there you can kiss good night.
A room is still a room
Even when there’s nothing there but gloom;
But a room is not a house,
And a house is not a home
When the two of us are far apart
And one of us has a broken heart.
Now and then I call your name
And suddenly your face appears
But it’s just a crazy game
When it ends it ends in tears.
Darling, have a heart,
Don’t let one mistake keep us apart.
I’m not meant to live alone. turn this house into a home.
When I climb the stair and turn the key,
Oh, please be there still in love with me.
椅子は誰も座る人がいなくなったって
未だ椅子のまま
でも椅子は家じゃないし
家は我が家ではなくなっている
貴方をぎゅっと抱きしめる人がいないなら、
おやすみのキスをする人だっていないなら
部屋は誰も明かりを付ける人がいなくたって
未だ部屋のまま
でも部屋は家じゃないし
家は我が家ではなくなっている
わたしたち2人が遠く離れ離れなら、
わたしたちの片方が傷心でいるのなら
今だっていつだって貴方の名前を呼ぶから
突然貴方の思い出が顔を出す
でもそれは単なる馬鹿げた遊び
涙のうちに全て終わってしまうだろうに
愛しい人よ心があるなら
わたしたちのように離れる過ちを誰かと犯さないで
一人きりで生きていくつもりじゃなかった
この家を我が家に戻そう
わたしが階段を登りキーを開けたなら
どうかそこに居てわたしを愛したままで居て
(和訳はテキトーです…)

[海外ドラマ]めもめも

■FOX
・レバレッジ シーズン1終了。シーズン2ありそう?
・Glee シーズン1後半放映中。シーズン3の製作まで決定したとのこと。
・24 シーズン7放映中。ファイナルシーズンの後は映画化決定したとか?
・ドールハウス シーズン1放映中。佳境。
・ゴースト 天国からのささやき シーズン5。ジム死んだけど死んだ意味ないらしい。
・キャッスル シーズン1がいつのまにか終わっていた。シーズン2打ち切り説。
・バーンノーティス吹き替え版の放映開始。
・アメリカンダンスアイドルシーズン5の放映開始。過去最高レベルといううわさ。
・Dr.HOUSEシーズン5放映開始。ウィルソンがいなくてハウスは普通に暮らせるんでせうか。
・NCIS シーズン6。リー捜査官はいつ悪いことするの?
・BONES シーズン5待ち。ブースの記憶喪失から開始らしい。
・アリソンデュボア シーズン4待ち。
・プリズンブレイクの放送はいつなの…。
■super! dramaTV
・クリミナルマインド シーズン1放映終了。続きはいつ…。
・スーパーナチュラル シーズン4終了でシーズン5開始。シーズン6の製作決定とのこと。おめでと!
・メンタリスト シーズン1。あまり見れていないので見やすい時間帯の再放送を望む。
・ソプラノズ シーズン6。ラストが衝撃映像すぎたという話を聞いたので再放送でじっくり見たい。
・セイント/天国野郎。1962年イギリス製作。若き日のロジャー・ムーアが男前すぎて面白い。
・HEROES ファイナルシーズン。ヒロ死すとティーバッグ出演が楽しみ。
・バトルスターギャラクティカ。全然見れませんでした…。
・ダーティセクシーマネー シーズン2。今最も熱いドラマ。しかし経費がかかりすぎて打ち切りになったと言う。
・ローズレッド。面白いんだけど長かった。
■AXNミステリー
・WHITE COLLAR シーズン1終了。どうやらシーズン2はアメリカで7月13日から放映開始らしい。
・名探偵モンク5。ファイナルシーズンでナタリーとシャローナの一騎打ちが見られると聞いて楽しみ。
・プリズナーNO6。全然見れていない。
・生存者シーズン2。全然見れる気がしない。
・アダム=ダルグリッシュ。かなり面白いらしいが見れる時間帯に放映してくれ。
・リンリー警部追加編。相変わらず上品だった。
・フロスト警部。昔の作品の再放送も面白い。
・11月の陰謀。ぶっ通しで見たにも関わらず全く意味が分からなかった。長すぎて半分くらい意識がなかった。
■番外
・デクスター原作。とても読みたいです^q^