[ライフ]意思疎通は曖昧さを犠牲にするか否か

久々に人様に読んでいただけるかもしれない文章を意識します。
前述した通り、わたしは人生で初めての転職というものに挑み、一応成功という結果を出しました。
ですが、結果などどうでもいいところで就職についてのいろいろな問題を認識しました。
転職前もですし、転職後にも問題がありました。
また、わたし自身が在宅を捨て「外で女がひとり働くこと」という環境へ舞い戻り、怠けていたいろいろなものをひとつずつまた吸収できているという意味では成長しているのかもしれません。
在宅の倦み疲れたどんよりした時間も、今思えば非常に懐かしく楽しいものでした。
在宅から戻ってオフィスで人と顔を合わせる仕事というものを改めて認識すると、日本の社会の理不尽さ、意味のなさ、無駄な部分がやはり目に付いたり、そのことで苦しくなったりすることが増えました。
東京でまだ若さと元気のあった新入社員だった頃の自分も同じことを呟いていたのに、今の自分の苦しみはいかにも陰険で暗いように思わされます。
この5年、社会人として働いてきた間にわたしのまわりが何も変わっていない、それどころかまた悪くなっていることを毎日知ります。
昔よく読んでいて技術的にも精神的にもお世話になっていた、@ITをまた読み始めて、またいろいろな人と近い世界に戻ったのかなと思います。
在宅の間は原点の.NET以外にもいろいろやっていたり、技術的に満たされた状態の開発を続けていたのであまり読む機会がありませんでしたが、今のわたしには技術面より「どう仕事するか」についての議論がとても勉強になります。
元々わたしは職業プログラマでしたし、今も変わりません。
普通の会社で普通に働いて最高の効率を出し、定時には帰ってプログラムを組む生活とは一線を画すという生活を目指していますし、実践すべきだと思います。
が、なぜか日本の社会はそういう風にできていません。
今回、出向中に暇つぶしのつもりでいくつかのエンジニアライフを描いたコラムを読んだのですが、
特にある小説とコラムの内容に感銘を受けまして、わたしと同じ疑問や苦しみはいくらでもあることだと再認識しました。
高慢と偏見/人形遣い
森姫さんのコラム「恋愛感情で仕事はできるか?」
どこが良かったのかというと、自分が考えていることと同じことを考えておられることは分かるのに、そのベクトルがコラムとして完成されているところだと思います。
究極的には自分自身のことを書くと愚痴になってしまうとわたしは考えていました。
でもこの小説とコラムは非常に昇華されているというか、冷静でもブラックでもないのにあっさりまとまっているように思います。
共感を呼ぶのに主張がはっきりしていると思いながら読みました。
人に対してこういう形で何かを訴えられることができたら素晴らしいのにとも思いながらです。
問題があったとき、あまりに自分の主張と真意が伝わらないことに驚きと憤りを感じますが、相手が過ごしてきた環境の影響を大きく受けていることはわかります。
そしてそれに対してわたしが正論を端的に言っても、殆ど理解されないどころか更に誤解を招くという経験もしました。
自分の話す日本語や、内容に問題がなくてもです。
そういうときに説得力のある話を用意してみたい。用意しておきたい。
自分の考えが本当にまとまっているのかどうかを知りたい。
ということで、職業プログラマのわたしが余暇をほんのちょっとだけ割いて、エンジニアライフについて話したいことを語ってみてもいいのではないかと思いました。
ほったらかしですが、自分のblogを持っていることですし。
転職後、上記のような考えに移るに至って@ITで連載されているコラムを参考にした文章みたいなものを書く、という企画を始めようと思います。
でもなんか遅筆そうです。
どんな方がアクセスされてくるか分かりませんが、どなたかに対して語りかける形式のほうがよさそうかな、と思ったので文体に差異が出るかもしれませんけど。

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