[映画]世界よゾンビになれー、な「World War Z」

前回パシフィック・リムの記事を公開して「何か熱病で苦しむ人のたわごとみたい…」と思いながらテンドー・チョイさんの役のクリフトン・コリンズ・Jrさんが宇宙人トンデモ系ドラマ「The Event」(シーズン1で打ち切り)で準主人公的な役の人だったことに気づいて愕然としたりしていました。まあ13話あたりで死ぬんですけど。
でもパシフィック・リムのテンドーさんの方がイケメン!すごいイケメン!

さて、パシフィック・リムと同日に見たのが「ワールド・ウォーZ」(以下WWZ)でした。
WWZを午前中に見、パシフィック・リムを午後に見るという濃度の高い日でした。

WWZは2D字幕で見たのですが、こちらは字幕の方が良かったです。
感情移入しまくりと思われる吹替に比べると割と俳優陣が淡々としているというか、英語のテンションが思ったより低いのでその温度差を意識したくなければ字幕で見るのが良いと思われます。

さて、ブラッド=ピット、略してブラピなあの方が私財を湯水のように投入して作られた映画と聞き及んでおりますこのWWZですが、Zとついていてもゾンビ映画だと思わないのは日本でわたしくらいだったのか、特に説明とかないんですけどゾンビ出ますよくらい言ってくれたっていいと思った。
いやZってついたら押しなべて全ての映画がゾンビ映画ジャンルになるくらいの甲斐性を持て!フェアレディもゾンビでいい!とか力説しようとしてフェアレディZ(ゼット)でなくてフェアレディ乙(おつ)だと思っていた人が過去にいたことを思い出しました。
しかし不自然なほどゾンビの雰囲気のないプロモで不思議に思ったのですが、原作は有名タイトル故にゾンビ映画であることはコモンセンスだったのですね。あと配給会社の意向でゾンビっていう単語使っちゃダメだったんか…というのは後から知りました。

ブラピ演じるジェリー・レインは過去は国連職員として危険地帯での任務などをこなす腕利きのエージェントだったようですが、現在は2人の娘と美しい妻のために朝からパンケーキを焼く主夫的な生活にしみじみと幸せを感じています。今日は家族4人で楽しくドライブ中。それが突然わけのわからない渋滞に巻き込まれてしまい、後ろから走ってきた白バイにサイドミラーをもぎ取られます。

ええ、サイドミラーをもぎ取られます。

ええ!?修理代は!?」というのが最初の感想です。サイドミラーがふっとんだというのに血色を変えた妻と違い、ジェリーは余裕ぶっこいて車の外に出てサイドミラーを拾います。もうここで常人と違う!メリケンは車の破損なんて日常茶飯事すぎて感覚がマヒしてるのか!?とか白バイだから文句いわねーのか!?とかいろいろな可能性がありますが既に非日常です。

ここまで5分。パシフィック・リムの開始5分で今までのいきさつを話し終わる速さもすげーのですが、WWZも負けじとスピード展開します。エヴァでいうと使徒を倒し終わってる感じです。

そして、いつもと少しだけ違うだけだったはずの交通渋滞が突如恐慌へと変わります。トラックが多くの車を押し流し、人々が逃げまどい、それでも何が起こっているかはわかりません。ジェリーは妻と娘を乗せて暴走トラックの後ろを走り出します。が、それも長く続かず交差点で横からぶつかられ、今度は徒歩で逃げだしますがその最中にこの恐慌の原因が、人であることを知ります。かつて人であったものが人を襲い、襲われた人間が人からナニカへ変貌を遂げるまでたった12秒。
乗り捨てられたキャンピングカーに乗り込みレイン一家は何とか逃亡しますが、そこに一本の電話がかかってきます。かつて国連職員だったジェリーに復帰を願う国連事務長のティエリーに、ジェリーはとにかく迎えが欲しいと頼みます。
そして始まる、かつて人だったゾンビとの戦い。

映画館の文字予告では「中国で発生した狂犬病が」と書いていたと思ったのですが、ゾンビの原因はどうやら狂犬病のような伝染病という想定のようです。
感染した人間は12秒でゾンビへと変貌し、身体能力が飛躍的に向上し、瞳孔が白濁し血管が浮き出ます。日にちが立つとどうやら腐敗もしているようです。そして他の「生きている」人間を牙で噛み付き襲います。音に敏感に反応し、近距離のゾンビの動向に共鳴し、意志も持たず休まず、沈静化すると休眠状態に入りただ彷徨うだけの存在になります。そしてかつて生きていた人間の状態には戻りません。
襲われた人間は12秒以内に処置を決めないと助かりませんが、ジェリーは人が襲われる様子を注意深く観察し助かるために必要な行動を学んでいくのです。

まずいろいろ突っ込みどころはありますが、今作のゾンビの概念は死というインターバルを挟まないので日本人からするとゾンビの感覚からほど遠い気がします。
正確に言うと、これはパンデミック映画だと思います。アウトブレイク+バイオハザードです。

かつて「アウトブレイク」という映画がありまして、わたしは中学生のときこの映画にめちゃくちゃはまって今も大好きなのですが、感染症の描写がかなりグロテスクなので同世代には非常に評判が悪い映画でした。これを学校の体育の時間に見たりしたわけなので、衛生観念とかウイルスという概念というものを認識するにはとてもよい教材だったことでしょう。WWZでもジェリーの観察眼が人類を救済に導くわけですが、解決ルートがアウトブレイク感すごい。そのまんまアウトブレイク。おサルが出てこないだけで。
その反面、WWZはアウトブレイクよりも、バイオハザードよりも全然グロくないのですが、その代わり花やしきも真っ青というお化け屋敷要素が詰まっています。というかほぼお化け屋敷です。スリルとしてはジュラシックパークです。「がおー」「キャー」というあのノリです。ゾンビの追尾能力が怖すぎてずっと指を咥えて震えて見ているしかないレベルです。空いてる映画館でよかったよう。肝が冷える効果は保証します。でも悲鳴あげたい場合にはDVD待って家で見た方がいいです。流石にゾンビの組体操はCGだとは思いますが、考えた人すごいです。ゾンビ映画はいろいろとロケーションの設定が大変そうですね。

なんというか、ゾンビというのは「くさったしたい」が起き上がって人を襲うから恐ろしかったのであって、「ゾンビという感染症」によって世界が崩壊するというのは狂犬病と変わりません。でもウォーキング・デッドシリーズなどもそうですが感染した結果人に戻れないという点では「死」ですから、新しいゾンビ世代というのは全て「肉体の死」ではなく「感染」を経るだけなのかもしれません。キリスト教的にはどうなんでしょうか。論理的には死を経ているので神の御許には到達できているのでしょうか。肉体が地獄にいるようなものだと思うのですけども。

映画の全体としては結構丁寧なつくりで、ジェリーが得られる解決への手がかりは同じように得られるのでそれは良かったと思います。つまり主人公しか知りえない事実描写というものがない。フィラデルフィアのマーケットで必要なものを手に入れた後、結局カートを手放して合流地点となるアパートに逃げるレイン一家の描写の中で、さっそく咳をしているホームレスというキーポイントがしっかり映っていたのが印象的でした。この時点で激しくネタバレです。襲われない人間が存在する、というヒントは視聴者にもきちんと示されています。

しかし、ジェリーの奥さんカリンもどこかのエージェントか!?というレベルで判断力を見せ、行動するのですがアメリカの奥様はみんなこんな感じなのですか?車の窓からゾンビに襲われそうな夫を守るためゾンビを殴り倒すとか咄嗟にはできませんのでわたしは何かの訓練をしたほうがいいんでしょうか。そうすると日本人のほとんどは何がしかの訓練が必要な軟弱民族になってしまうと思うのですが。マーケットでチンピラと物の取り合いで暴行されそうになったにも関わらず、やめて!とかイヤ!とかじゃなくて「取らないで!」と叫んでいたのもなんだかすごい気がします。特に指示なしでも自分で考えてしっかり動いてて新入社員の教育とかに使えそうです。発煙筒持たせたら天下一品です。でも極限状態で静かに逃げようとしているジェリーに電話してくるのやめてください。おかげで死人が出たのでフラグとはいえ「これだから妻は…」とか言われかねないのでやめたげてください!ていうかジェリーは電池なくなるんだから電源切っとけ!妻が鬼電するのを見ていたうちの旦那がキレそうになっていたのが感慨深い。

そして特筆すべきは勝手に死んだ希望の星ことウイルス学者と、エルサレムの常軌を逸した防衛方法でしょう。学者はどうも軽薄というかバカそうというか希望の星感は何もなかったのですが案の定自爆死したので噛ませ犬にすらならない割に、後に引用される名言「自然は“弱さ”を“強さ”と偽りたがる」を残したりしていたので侮れません。そしてエルサレムよ、「ゾンビが国に入ってくる前に壁を作る」のに成功してゾンビ締め出したんだから騒がないでちゃんと締め出せよ!それか内壁か屋根作って入れないようにしろよ!という突っ込みたいオブジェクトナンバーワンです。

あとは自称役立たずの割に死ぬほど活躍してるエルサレムの「左手ゾンビ断捨理」ことセガンちゃん、この手の健気な坊主の女兵士なおにゃのこは大好物なのですが拳銃を気軽にぶっ放しまくりで気が気ではありません。ここぞというときにぶっ放してるわけですけど、その後のノープラン感はかわゆさでカバー。いいよいいよこの世紀末感。慈悲もなくゾンビの頭に鉄玉ぶっこむのがワイルド。旅客機内でパイナップル振りかざすジェリーを信頼の目で見つめて見事生き残るところも良かったです。

そうそう、旅客機内でパイナップルです。
この映画はジェリーがずっとピンチなことは変わりませんが、そのピンチの度合いがどんどん高まることでスリルが演出されます。何とか逃げる、何とか逃げる、何とか旅客機に乗って脱出、その旅客機内にゾンビが居る→「えっ」てなるのは仕方ありません。旅客機内です。詰んだと思われます。一人ゾンビになれば終わる世界です。そこでろくな武器もなく、周りがどんどんゾンビになっていき、手元には女兵士の持ち物である手榴弾のみ。そこで投げるか投げないか、葛藤は一瞬で終えて判断しなければいけない限界状態。
この演出の高まり感はカオスなこの映画の中でも特に良いところだと思いました。やってはいけない、しかしやらなければ死ぬ。そのぎりぎりの選択を迫られるんですが、判断できる猶予はありません。そこで生き残る可能性に掛けて、一つの選択をする。
まあ旅客機の半分をパイナップルでブッ飛ばしてゾンビか人か分からないけど乗客をお空へさようなら、それでも墜落しても生き延びる確率を選ぶ、というのは日本映画ではありえないと思うので見られてよかったです。何というかそれ以外に形容しようがない。
ご都合主義で主人公が生き残るのは仕方ないですけど、ちゃんと(と言っていいのかどうか)怪我はしていたのでまあラッキーだけど普通の人でいいんだと思う。普通は死ぬ怪我ですけども。

あとジェリーが死んだかどうか確認もせずに妻と子供と途中でレイン一家を助けてくれた子供を放り出すティエリーの無能さとか、思いのほかちゃんと責任取ろうと行動してるWHOの責任者の意外な勇気とか、WHOの中で一番賢そうだった女性職員のかわゆさとか、後半へ行くにつれてしぼむ感じは否めないんですけどもペプシじゃなくてLevisでもよかったと思いつつ。あっでもジーンズだと自販機に入らないし音が出ないからゾンビ寄せできないのか。ダメか。

自分にとっての最強のゾンビは大槻ケンヂさんの少女ゾンビ小説「ステーシー」なのですが、そのステーシーの漫画版では一番最初に正気に戻ったステーシーであるモモが「今日の日はさようなら」を歌うシーンがあります。
ステーシーたちは元々は15歳から17歳の少女で、ある日突然死亡しその後短期間で起き上がった者がステーシーという意志のないゾンビになり人を食べる話です。人間たちはその少女たちを沈黙させるため、「再殺」を行います。再殺部隊の男たちは自分がかつて愛し、かつて殺した少女の面影を見出しながらステーシーを再殺します。
始まりも終わりもすごく理不尽な話なのですが、その理不尽さはこのWWZと共通のものだと感じます。ある日突然わけのわからない理由で、あるいは理由もなしに人が死ぬだけでなく、戦わなければならないのです。神様が気まぐれで今日そうしようと決めたのかもしれません。生きた人間には二度と戻れない、今日の日にさようなら。ゾンビ映画は永遠にその理不尽さを抱えるのでしょう。スタッフロールを見ながらそんなことを思いました。
まあ予算が足りなくて力尽きそうになったとか、グロ禁止令にて流血やらはらわたやら人食いシーンをおさわり禁止にしたとか、制作が遅れてラストシーンが差し替えになったとか後からいろいろ聞くと夢がないんですけど普通に面白かったです。ジェットコースターに長く乗れていたようなやり遂げた感。

最後に、ブラッド=ピットという俳優について。
わたしが今まで見てきたブラピ映画が恐らく悪いんだと思いますが、ニヤニヤしながらふらふらしてる役ばかりの俳優だと思っていました。スナッチとかMr&Mrsスミスとかがダメだったんだと思うんですけど。あとよく脱ぐなーと。今回は字幕で見たのも大きいのですが、表情の変化があまりなく硬い表情が多いのですがいい演技だと思いました。飄々と自分の推理を組み立て、世界をきちんと見つめ、家族のために戦う男として地に足のついたプロフェッショナルなエージェント、という雰囲気がよく出ていると思いました。逆に悲壮な顔をしたり、大声で騒いだりと悲劇の主人公型ではなかったところも静謐な感じで好きです。もしかしたら次作があるかも、とのことなので期待しています。と書いたそばから次作制作は決定していることを知り困惑しています。

でも、ゾンビの血液を飲んでしまったジェリーは何故12秒のルールを免れ得たんでしょうか?もしかして次作のヒント?
WHO建物内B棟でジェリーとタイマン張ったゾンビの俳優さんの演技力が素晴らしかったので、スタッフロールをきちんと見ると「WHOの建物内のゾンビ」とかきちんとキャスト付されているのを是非見てあげてください。

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[映画]Pacific Rimが異常に面白かった

正直前評判がよろしくなさすぎて見るつもりがなく、むしろベネ坊(いつもシャーロックの説明をするときにベネディクト・カンバーバッチをジェームズだっけ?とか言ってしまうので呼称制定)が食が細いにもかかわらず一日五食だか六食だか食わされてえずきながら作り上げた肉体美が見たいので「スタートレック イントゥ・ダークネス」を見たかったのですが、何故か旦那のごり押しで「パシフィック・リム」の3D吹き替え版を見ました。

やだすごいおもしろいじゃない…。

声を大にしておもしろかったー!と言いたい。まあ言いたい。すごい映画です。おもしろいです。
正直戦慄するほど面白かった。これはとてもすばらしいロボット映画ですね。ギレルモ・デル・トロ監督はクトゥルフ映画作ろうとして挫折するほどの変人とは存じ上げずにまったく興味がなく、メキシカンじゃなくてさまよえるオランダ人のような人だなと思っていたのですがすごい監督だと思いました。その評価はどうなのよと自分で思わないでもないですが。

身もふたもなく言うとザ・コアとゴジラとキングコングとウルトラマンとガンダムとヱヴァとマジンガーとジョーズあたりをミンチにして混ぜ合わせたやつに進撃の巨人と巨神兵とTRONとスターウォーズとトランスフォーマーあたりをスパイスにぶっ掛けてるんですけど全然新しい料理できちゃったという仕上がりです。ザ・コアは海底降りて自爆が必要なのに主人公が生き残るところが同じなんですけど。
ヱヴァのパクリでは全然ありませんでした。ヱヴァの人造人間はものすごく人間くさい動きを物理法則を無視して行うんですけど、イェーガーはものすごい重量感を残しつつ、機械の動きをします。でもいちいちその重量感がリアルでCGとは思えないんです。カイジューはその点は生物なんですけど、やはりでかい者同士の対決なので重量感がすごいんです。めちゃくちゃ大きくて重い者同士がぶつかり合ってぐちゃぐちゃになっていく、その過程が手に汗握るんですけど、CGのクオリティを超えていて特撮のそれみたいなのです。そして爽快感。パイロットはすごく肉体酷使してる感。実際撮影は大変そう(ずっと宙吊り)だったので、俳優の疲労感は本物なんでしょうね。

鑑賞後に思ったのは「この面白さはボクシング見た後のやつじゃねーか」ということです。何だかロボ映画見た後のロボへの愛ではなくて、ヱヴァでヴンダーが無事飛んで涙出たのとは別種の感覚です。どちらかというと格闘技とかを見た後の感覚です。勿論ロボがリアルにもっさり動くところとかすごく良くて力が入るんですけども、世界タイトルマッチでどんだけ殴られていても必ず判定勝ちするんだよね!という安定感がめちゃくちゃな爽快感に昇華します。フルコンなのでマーシャルアーツでも空手でもいいです。武器も飛び道具も出ますし。
ロボならではの動力転用しての自爆とか被爆とかそれ以上の話の広がり方は全然ないんですけど、それをイェーガーのCGが現実を上回る素晴らしい出来で現実みたいにするんです。そこに不安はないんです。存在しないものだとはとても信じられないほど存在感があるからです。

ストーリーは特筆すべきことは別にありません。ある日突然カイジューが異次元から出てきてようわからんのだけど倒せたらどんどん増えるし対抗馬だったイェーガーっていうロボもなんか効果が落ちてきて使えなくなっちゃったよーヒーロー助けて!という中身のすっからかんなお話です。ヱヴァのびっくりドン引きストーリーの方がまだ広がりがあります。土曜日にやっていた勇者指令シリーズのアニメのほうがまだ敵のヴァリエーションが多いくらいです。ウルトラマンのような遥かな銀河の広まりも全然感じられません。何でここまで言うのかというとマジでストーリーに期待することが何もないからです。カイジューが出てきてそれを倒すためのイェーガーというロボが戦ってぶっ壊れてパイロットが死んだりするというそんだけの話です。でもストーリーがなくても全然面白かったんです。もうこれは映像がストーリーを凌駕してるとかそんな感じなんでしょう。

自分の中では人間の「ナニカ」の大量消費系映画というカテゴリがあります。要するに、主要キャスト以外の(場合によっては主要キャストですらも)無名の人間とするファクターを死ぬんだか殺すんだか、とにかく大量の人間の人生に影響があると確実に思われるシチュエーションで展開する映画です。単なるファクターなので後始末とかもしないことが多いです。人がたくさん悲しそうなわけなので拒否反応のある人もいるみたいです。

その中でも人間の「死」の大量消費系映画というのは恐らく受けが悪いのは大昔からで、殆どの映画では意図的に人間の大量消費のシーンを省いたり、逆にセンセーショナルに使ったりしています。同日には「ワールド・ウォーZ」も見たのですがこちらは後者だと思われます。大量消費を公表することで観客への効果を期待する演出です。
ただパシフィックリムではただひたすら監督の愛する映画へのオマージュのためにだけ人間が大量消費されます。ゴジラとか。ゴジラとかゴジラとか。多分モスラとか。そこに特に意図はないのかもしれないんですが、とにかく規模のでかい話にしようぜ!という意気込みがめちゃくちゃ伝わってきます。車が特にものすごい台数が破壊されまくっていて安全装置の警告音が癖になるくらい鳴り響きます。カイジューの上陸シーンでご丁寧に車をすり潰したりしていて満足感があります。

例えばロシアのイェーガー、チェルノ=アルファはもう正面から見たらそのまんまバルタン星人みたいなフォルムで本当にかっこよくて大好きなんですけど、やっぱりお約束上壊れます。でも人間みたいに死ぬんではなくて、それはやはり破壊の演出なのです。パイロットは死んでるのかどうなのかすら分かんないんですけどまあ確実に死んだよねというシチュエーションです。チェルノを維持するためにたくさんのエンジニアがいて、チェルノを構成するのにたくさんの原料が使われていて、チェルノの破壊で代替になるイェーガーもパイロットもないことをみんな知っていて、チェルノの破壊と共にその多くのモノが失われたのを感じます。希望が一つ失われたのだとはっきりとわかります。実際にはCGなので失われるものはないんですけど、劇中では大量の人間の人生が捧げられて叶えられていたチェルノという「希望」が一つ失われて、チェルノは人間を確実に大量消費しているのだなと感じます。単なる感情なんですけど、それがリアリティだと思うのです。単なるCGをリアリティだと思えてしまうのがとても面白いんです。

※ここで異様にチェルノ押しですがこれは中国産イェーガーのクリムゾン=タイフーンのぶっ壊れシーンが良く分からなかったため…です…orz

そんで菊池凜子と芦田愛菜です。とにかく全編で主人公は取りあえずイケメンヒーローなんだけどそれは二の次で、ひたすら菊池凜子演じる森マコがかわいいよ!かわいいよ!かわいいよ!というオーラだけで進行します。森マコの子供時代である芦田愛菜もとにかく愛でています。不必要に出演時間長いです。ギレルモ監督どんだけ森マコが好きなんでしょうか。きちんと生還させて殺さないあたりは、宇宙戦艦ヤマトの森雪ちゃんへの松本零児さんの歪んだ愛と全然違い、とにかくかわいく撮影したい!という愛が先行していて逆に理不尽さを感じるくらいです。なのでもうこれは菊池凜子の映画でいいと思います。吹き替え版では林原めぐみ様なのでもう最後はめちゃくちゃかわいくて仕方ありません。綾波レイに見えるまであと一歩というところまで行きました。自分も大学時代にやっていた前下がりボブカットの髪型に戻そうかと思うくらい菊池凜子がかわいく見えるのでもう病気だと思います。47Roninが見たくなるほど菊池凜子推しになります。
更に日本が戦場になったことを表す「萌&健太」とかいう作り込まれた看板といい、異様に日本が優遇されてる気がします。その割に日本のコヨーテ=タンゴが全然見えませんでしたのできちんと出演させたげてください!ガンキャノンのフォルムのみで確認しろと言われても無理でした!あと日本機なのに何故黒人司令官が乗ってるんですか!

あとはカイジューの脳みそにアクセスしてしまう博士コンビが異様にホモくさい(吹き替えもグレーゾーンの人)のとか、オーストラリア産イェーガーのストライカー=エウレカのパイロットの息子の方(情熱系クズ)が飼ってる犬がめちゃくちゃかわゆいのとか、脇役のはずのオペレータのテンドーさんがだんだんイケメンに見えてくる過程とか衝撃的なことがいろいろあったのですが、キャラクターたちもとても面白いです。

書きたいことの半分も書いてない気がするのですが、ダメ押しで音楽もとてもよかったです。民族系の効果音入りのベースの効いたオーケストラヒットが多いのですが、音楽のおかげで最高にテンポよく見られたと思います。これは映画館で見て最高によかった点だったと思います。エンディングの各イェーガーのカットも最高にかっこいいです。エンディングに使われていた「Drift」という曲もすごく良かったです。

いろいろ言われていますが、とても楽しめた映画でした。フィギュアとかプラモデルは本腰入れて作ってくれないのかなあ…!

 

[ひとりの]月曜に泳ぎ始めて金曜まで泳ぎ切れるか、または1日中泳いでいる話

自分にとっては割と哲学的な話なんですけど、日本社会ではものすごく物理的消費量な話。

よく2chあたりの男女厨が
「女は体力なくて使えない」
「女はすぐ会社辞める」
とか書かれていて思うんですけど(真に受けるな)、
自分は月曜、火曜、水曜、木曜、金曜まで仕事していて可能なら土曜日と日曜日は出勤したくない人です。
何でかというと月曜から金曜まで泳ぐだけで疲れてしまうから。
泳ぐ、というのは勿論比喩ですが、自分にとっては本当にそんな感じで、金曜に仕事が終わって家に帰って初めて息継ぎとかペースとか水の圧力を意識しなくなるといったそんな概念があります。
要するに通勤含めて仕事自体のことを、自分の意思に逆らって泳いでいる水の圧力だというように感じてしまっているのだと思います。
もうひとつあって、一日の初めに起きて寝るまで、これも泳ぎ始めて泳ぎきれるかという不安を感じてしまうことが良くあります。
一週間で言うと1出勤日分がコース1往復で、それを5往復してやっと金曜日という感じです。

何でこんな概念なのか?というのをよく考えると、やはり元々体力がないので貧血を気にしながらペース配分してた学生時代に問題があると思います。
片頭痛もものすごくて小学校とか中学校は月に2日は休みとっていました。風邪も引くしアレルギーもすごかった。
運動能力的にも短距離にはほぼ問題がないものの、遠距離になると400M以降は歩くしかなくなり真っ赤なトマトのような顔で熱中症に耐える子供でした。デフォルト熱中症。汗が出にくく代謝に問題があったようです。高校のときには不整脈も見つかり念願のマラソン免除です。ここだけ今見ると当時の自分がちょっとうらやましい(えー)
今は割と折り合いが良くなりました。無理しなくなりました。自分で判断して無理しない範囲が分かるようになりました。それだけでもずいぶん遠くまで見通せるようになりました。不整脈も疲れてなければ出ないし、貧血や片頭痛も人に隠せるくらいには対処できるようになりました。

泳ぐ、というのは死ぬほど苦手な動作でありました。そもそも幼児の頃に風呂でおぼれた後遺症で水に顔を付けられない状態が長く続いていました。3年くらい毎年スイミングスクール通っても毎年泳げなくなってる、そんな子供でした。プールの水の味が死ぬほど嫌いでした。コンタクトになってからは絶対泳がないと決めてましたが高校のプールが壊れていたので授業もないし助かりました。

今思えばその体験の複合的なイメージが、月曜から金曜まで泳いでる、または1日中泳いでるという概念に影響している気がします。
フルで泳いでたら死ぬ。1日中は何とか泳げても次の日は泳げない。休みを取り上げられるとひずみが出る。
そんで、泳ぐことに注力してるとどんどんバカになっていく気がします。仕事のことじゃなくて泳ぐ方に気を取られているので当たり前です。出社して席に座ってるだけで息継ぎのことばっかり考えてるんだから、溺れないようにするだけで精いっぱいです。

在宅勤務のときにはその概念はまだ出現していませんでした。
思えば、その前に東京で通勤していたときもその概念はありませんでした。若かったからでしょうか。それとも自分の命は電車に預けて、もう少し気楽に暮らせる給料だったからでしょうか。息継ぎが必要ないほど楽しく仕事していたからでしょうか。

サービス残業とかとんでもないです。望まずに残業したら体力か息か分からないけど途切れて死ぬかもしれないからです。そもそも対価のない仕事は害悪です。
そんなことを定時で帰りながら車の中でつらつらと思うわけです。だから自分にとってはすごく哲学的な話です。まだ働けているからです。自分自身の破綻や危機を恐れているのは自分自身だけです。定時ですら死ぬ思いで泳いでいるのにそれでも怠け者扱いされてもなーと思うのです。

でも今の日本ではどちらかというと物理消費量な話なんですよね。「社会人が使うべき体力量」みたいなのが本人に裁量権がないんですよ。他人が死ぬと思ってる容量を把握できない。体力量のない人間が劣っているという風潮。体力で仕事してるわけじゃないはずなんですけど。
いっそバカみたいに体力ある男しかかからないウイルスとか流行すればいいんですけど。男でも体力のない人はいるわけで。自分が男性になれれば解決するのかな、と思った時期もあるんですが日本社会はどこにでも地雷や落とし罠だらけなんだなと思うまで長くはかかりませんでした。

自分が泳がないで溺れないで自然に息ができると思う仕事場はこの世にあるのかと、割と真剣に悩んでいます。

[エンジニア]転職活動しています

またおさぼりしていたわけです。艦これ記事書いた割には艦これに耽溺していたわけではありませんでした。というか戦艦生まれないよ…(白目)
重巡洋艦が余り始めました。これどうするの…戦艦のごはんになるだけなの…(大破のイラストで)

少し前のエントリにも触れたのですが、実は転職活動をしています。
実はって書く必要ないだろと思わないでもないのですが、中の人が特定されるような言動を極力避けてきた当ブログとしては割と思い切った告白ですので書きました。

元々は配偶者の転居可能性から転職活動へと派生してはいますが、何で日本の社会人男性という生き物は既婚女性側が自分を犠牲にして旦那の勤務先に付いていき、更にその度に就職活動するのを当然だと思うのでせうか…(遠い目)
苗字変えてやったんだから居住地はこっちの言うこと聞いてくれ、くらいはっきり言わないと飲み会の度に「ついて行ったら?」だの外野が黙らないんですね。苗字変えるのが死ぬほどめんどくさい上に印鑑代がかかって違和感だけが残るので未だに根に持っています。割と本気です。

話が逸れました。
前回の転職のときには結構あっさり決まったし、会社名も公開していたわけではないので退職エントリは書かず、転職先の話も特にせずという感じでスルーしていたのですが、今回はいろいろ事情も異なっているので改めて前回以上にきちんと転職活動しています。
主に自分の居住地周辺限定なのですが、もうこの範囲での転職の意義がないというか限界だと思っています。
何故かというと業界が一種の輪廻転生の状態になってまして、要するに業界各社が横並びでそれぞれ顔色伺って融通利かせている状態なわけです。
なのでどこかの会社からどこかの会社への転職を目論見ると自分と関係ないところでえらいやり取りが行われている可能性があります。そもそも転職対象になる会社の頭数がありません。給与面で選択の余地もありません。それですらどこかの誰かの思惑で転職できなくなったりするわけです。
そこから解脱するためには無関係な地域へ逃亡、派遣でしがらみフリーダムになる、もしくは個人事業主で地元に居ながら縁を切るくらいしか方法がないことをはっきり悟ったので、現在は地元での転職活動は止めました。
あとスカウト紛いの口約束をしてきた会社とかありますが、反故になった上いろいろと絡みにくいのですぱっと切りたいというのもありました。

それにしても日本はとにかく勤務地にすげえうるせえというか、えらい保守的で非常に困っています。
在宅勤務案件だったので応募しようとしたら東京圏じゃないとダメって言われたりとかそういうの条件に書いてないじゃん…(白目)みたいなのがものすごく多いです。
あと簡単に引っ越しさせようとする会社が多くて引きます。
在宅勤務制度完備!っていう会社も多いには多いんですけど、介護中とか出産・育児関係に限定されていてものすごくやりにくいんですよ。いやそのときには在宅勤務にしてもらえると助かるのはすごくわかるんですけど、それ以前に通勤させる必要のない仕事かどうかすらわからんというか別に通勤しなくてもいいじゃんという。
これ、局地的な自分の立場から言うと、旦那の転勤があるたびに退社入社を繰り返す前提で転勤先で仕事を探せよ、でもキャリアはどんどん崩壊するんだからな、と言われてるのと同義なんですよ。
ものすごく疲れませんかそれは。

地方が死ぬわけですよ。通勤圏内でなければ職に就けず、職に就けなければ職歴が育たず、職歴が育たなければ通勤する会社にも入れないんですよ。しかも会社自体が選べなかったり、経営が迷走状態で地方だからかろうじて息をしてるだけで実態はブラックだったり、通勤にしても新卒の時点で自分で車を買わされてしまう。ガソリン入れて奨学金と車のローンと税金払ったら手元に何も残りません、みたいな価格でしか働く会社がない。
人売りしても多重下請の底辺から上には行けないので転職しようとしたらバブリーな北海道とか福岡とか首都圏でしか仕事がなくて嫌々転居するしかないんですけど、引っ越したい人も給料も全然上がらないのでまともな引っ越しができません。
でも通勤は絶対。通勤圏内に住んでいない人は採用対象外。

そんな感じのことを考えるとどうしても在宅勤務正社員Or個人事業主の葛藤になるわけで、今は一応前者を目標として転職活動をしています。
某社の転職エージェントの口ぶりから察したのですが、ノマド()にあこがれる人がふらふら転職活動している例が多いらしくてどうも反応がよくありません…。ノマド(笑)ってはっきり言われてるよぼくたち!
引きこもりの自分としては別にカフェで仕事なんかしたくないんだよ!通勤しなきゃ転職できないなんて理不尽だと思うだけなんだよ!と言いたいのですが今のとこ言う先がないのでブログに書きました。

今までお祈りメールもらったことなかったのですがすげえ破壊力ですね。
お祈りメールすら来ない企業よりはいいのだろうか。悩みますね。
取りあえず目標時期までは延々転職活動中ということにします。身バレしませんように。