[映画]世界よゾンビになれー、な「World War Z」

前回パシフィック・リムの記事を公開して「何か熱病で苦しむ人のたわごとみたい…」と思いながらテンドー・チョイさんの役のクリフトン・コリンズ・Jrさんが宇宙人トンデモ系ドラマ「The Event」(シーズン1で打ち切り)で準主人公的な役の人だったことに気づいて愕然としたりしていました。まあ13話あたりで死ぬんですけど。
でもパシフィック・リムのテンドーさんの方がイケメン!すごいイケメン!

さて、パシフィック・リムと同日に見たのが「ワールド・ウォーZ」(以下WWZ)でした。
WWZを午前中に見、パシフィック・リムを午後に見るという濃度の高い日でした。

WWZは2D字幕で見たのですが、こちらは字幕の方が良かったです。
感情移入しまくりと思われる吹替に比べると割と俳優陣が淡々としているというか、英語のテンションが思ったより低いのでその温度差を意識したくなければ字幕で見るのが良いと思われます。

さて、ブラッド=ピット、略してブラピなあの方が私財を湯水のように投入して作られた映画と聞き及んでおりますこのWWZですが、Zとついていてもゾンビ映画だと思わないのは日本でわたしくらいだったのか、特に説明とかないんですけどゾンビ出ますよくらい言ってくれたっていいと思った。
いやZってついたら押しなべて全ての映画がゾンビ映画ジャンルになるくらいの甲斐性を持て!フェアレディもゾンビでいい!とか力説しようとしてフェアレディZ(ゼット)でなくてフェアレディ乙(おつ)だと思っていた人が過去にいたことを思い出しました。
しかし不自然なほどゾンビの雰囲気のないプロモで不思議に思ったのですが、原作は有名タイトル故にゾンビ映画であることはコモンセンスだったのですね。あと配給会社の意向でゾンビっていう単語使っちゃダメだったんか…というのは後から知りました。

ブラピ演じるジェリー・レインは過去は国連職員として危険地帯での任務などをこなす腕利きのエージェントだったようですが、現在は2人の娘と美しい妻のために朝からパンケーキを焼く主夫的な生活にしみじみと幸せを感じています。今日は家族4人で楽しくドライブ中。それが突然わけのわからない渋滞に巻き込まれてしまい、後ろから走ってきた白バイにサイドミラーをもぎ取られます。

ええ、サイドミラーをもぎ取られます。

ええ!?修理代は!?」というのが最初の感想です。サイドミラーがふっとんだというのに血色を変えた妻と違い、ジェリーは余裕ぶっこいて車の外に出てサイドミラーを拾います。もうここで常人と違う!メリケンは車の破損なんて日常茶飯事すぎて感覚がマヒしてるのか!?とか白バイだから文句いわねーのか!?とかいろいろな可能性がありますが既に非日常です。

ここまで5分。パシフィック・リムの開始5分で今までのいきさつを話し終わる速さもすげーのですが、WWZも負けじとスピード展開します。エヴァでいうと使徒を倒し終わってる感じです。

そして、いつもと少しだけ違うだけだったはずの交通渋滞が突如恐慌へと変わります。トラックが多くの車を押し流し、人々が逃げまどい、それでも何が起こっているかはわかりません。ジェリーは妻と娘を乗せて暴走トラックの後ろを走り出します。が、それも長く続かず交差点で横からぶつかられ、今度は徒歩で逃げだしますがその最中にこの恐慌の原因が、人であることを知ります。かつて人であったものが人を襲い、襲われた人間が人からナニカへ変貌を遂げるまでたった12秒。
乗り捨てられたキャンピングカーに乗り込みレイン一家は何とか逃亡しますが、そこに一本の電話がかかってきます。かつて国連職員だったジェリーに復帰を願う国連事務長のティエリーに、ジェリーはとにかく迎えが欲しいと頼みます。
そして始まる、かつて人だったゾンビとの戦い。

映画館の文字予告では「中国で発生した狂犬病が」と書いていたと思ったのですが、ゾンビの原因はどうやら狂犬病のような伝染病という想定のようです。
感染した人間は12秒でゾンビへと変貌し、身体能力が飛躍的に向上し、瞳孔が白濁し血管が浮き出ます。日にちが立つとどうやら腐敗もしているようです。そして他の「生きている」人間を牙で噛み付き襲います。音に敏感に反応し、近距離のゾンビの動向に共鳴し、意志も持たず休まず、沈静化すると休眠状態に入りただ彷徨うだけの存在になります。そしてかつて生きていた人間の状態には戻りません。
襲われた人間は12秒以内に処置を決めないと助かりませんが、ジェリーは人が襲われる様子を注意深く観察し助かるために必要な行動を学んでいくのです。

まずいろいろ突っ込みどころはありますが、今作のゾンビの概念は死というインターバルを挟まないので日本人からするとゾンビの感覚からほど遠い気がします。
正確に言うと、これはパンデミック映画だと思います。アウトブレイク+バイオハザードです。

かつて「アウトブレイク」という映画がありまして、わたしは中学生のときこの映画にめちゃくちゃはまって今も大好きなのですが、感染症の描写がかなりグロテスクなので同世代には非常に評判が悪い映画でした。これを学校の体育の時間に見たりしたわけなので、衛生観念とかウイルスという概念というものを認識するにはとてもよい教材だったことでしょう。WWZでもジェリーの観察眼が人類を救済に導くわけですが、解決ルートがアウトブレイク感すごい。そのまんまアウトブレイク。おサルが出てこないだけで。
その反面、WWZはアウトブレイクよりも、バイオハザードよりも全然グロくないのですが、その代わり花やしきも真っ青というお化け屋敷要素が詰まっています。というかほぼお化け屋敷です。スリルとしてはジュラシックパークです。「がおー」「キャー」というあのノリです。ゾンビの追尾能力が怖すぎてずっと指を咥えて震えて見ているしかないレベルです。空いてる映画館でよかったよう。肝が冷える効果は保証します。でも悲鳴あげたい場合にはDVD待って家で見た方がいいです。流石にゾンビの組体操はCGだとは思いますが、考えた人すごいです。ゾンビ映画はいろいろとロケーションの設定が大変そうですね。

なんというか、ゾンビというのは「くさったしたい」が起き上がって人を襲うから恐ろしかったのであって、「ゾンビという感染症」によって世界が崩壊するというのは狂犬病と変わりません。でもウォーキング・デッドシリーズなどもそうですが感染した結果人に戻れないという点では「死」ですから、新しいゾンビ世代というのは全て「肉体の死」ではなく「感染」を経るだけなのかもしれません。キリスト教的にはどうなんでしょうか。論理的には死を経ているので神の御許には到達できているのでしょうか。肉体が地獄にいるようなものだと思うのですけども。

映画の全体としては結構丁寧なつくりで、ジェリーが得られる解決への手がかりは同じように得られるのでそれは良かったと思います。つまり主人公しか知りえない事実描写というものがない。フィラデルフィアのマーケットで必要なものを手に入れた後、結局カートを手放して合流地点となるアパートに逃げるレイン一家の描写の中で、さっそく咳をしているホームレスというキーポイントがしっかり映っていたのが印象的でした。この時点で激しくネタバレです。襲われない人間が存在する、というヒントは視聴者にもきちんと示されています。

しかし、ジェリーの奥さんカリンもどこかのエージェントか!?というレベルで判断力を見せ、行動するのですがアメリカの奥様はみんなこんな感じなのですか?車の窓からゾンビに襲われそうな夫を守るためゾンビを殴り倒すとか咄嗟にはできませんのでわたしは何かの訓練をしたほうがいいんでしょうか。そうすると日本人のほとんどは何がしかの訓練が必要な軟弱民族になってしまうと思うのですが。マーケットでチンピラと物の取り合いで暴行されそうになったにも関わらず、やめて!とかイヤ!とかじゃなくて「取らないで!」と叫んでいたのもなんだかすごい気がします。特に指示なしでも自分で考えてしっかり動いてて新入社員の教育とかに使えそうです。発煙筒持たせたら天下一品です。でも極限状態で静かに逃げようとしているジェリーに電話してくるのやめてください。おかげで死人が出たのでフラグとはいえ「これだから妻は…」とか言われかねないのでやめたげてください!ていうかジェリーは電池なくなるんだから電源切っとけ!妻が鬼電するのを見ていたうちの旦那がキレそうになっていたのが感慨深い。

そして特筆すべきは勝手に死んだ希望の星ことウイルス学者と、エルサレムの常軌を逸した防衛方法でしょう。学者はどうも軽薄というかバカそうというか希望の星感は何もなかったのですが案の定自爆死したので噛ませ犬にすらならない割に、後に引用される名言「自然は“弱さ”を“強さ”と偽りたがる」を残したりしていたので侮れません。そしてエルサレムよ、「ゾンビが国に入ってくる前に壁を作る」のに成功してゾンビ締め出したんだから騒がないでちゃんと締め出せよ!それか内壁か屋根作って入れないようにしろよ!という突っ込みたいオブジェクトナンバーワンです。

あとは自称役立たずの割に死ぬほど活躍してるエルサレムの「左手ゾンビ断捨理」ことセガンちゃん、この手の健気な坊主の女兵士なおにゃのこは大好物なのですが拳銃を気軽にぶっ放しまくりで気が気ではありません。ここぞというときにぶっ放してるわけですけど、その後のノープラン感はかわゆさでカバー。いいよいいよこの世紀末感。慈悲もなくゾンビの頭に鉄玉ぶっこむのがワイルド。旅客機内でパイナップル振りかざすジェリーを信頼の目で見つめて見事生き残るところも良かったです。

そうそう、旅客機内でパイナップルです。
この映画はジェリーがずっとピンチなことは変わりませんが、そのピンチの度合いがどんどん高まることでスリルが演出されます。何とか逃げる、何とか逃げる、何とか旅客機に乗って脱出、その旅客機内にゾンビが居る→「えっ」てなるのは仕方ありません。旅客機内です。詰んだと思われます。一人ゾンビになれば終わる世界です。そこでろくな武器もなく、周りがどんどんゾンビになっていき、手元には女兵士の持ち物である手榴弾のみ。そこで投げるか投げないか、葛藤は一瞬で終えて判断しなければいけない限界状態。
この演出の高まり感はカオスなこの映画の中でも特に良いところだと思いました。やってはいけない、しかしやらなければ死ぬ。そのぎりぎりの選択を迫られるんですが、判断できる猶予はありません。そこで生き残る可能性に掛けて、一つの選択をする。
まあ旅客機の半分をパイナップルでブッ飛ばしてゾンビか人か分からないけど乗客をお空へさようなら、それでも墜落しても生き延びる確率を選ぶ、というのは日本映画ではありえないと思うので見られてよかったです。何というかそれ以外に形容しようがない。
ご都合主義で主人公が生き残るのは仕方ないですけど、ちゃんと(と言っていいのかどうか)怪我はしていたのでまあラッキーだけど普通の人でいいんだと思う。普通は死ぬ怪我ですけども。

あとジェリーが死んだかどうか確認もせずに妻と子供と途中でレイン一家を助けてくれた子供を放り出すティエリーの無能さとか、思いのほかちゃんと責任取ろうと行動してるWHOの責任者の意外な勇気とか、WHOの中で一番賢そうだった女性職員のかわゆさとか、後半へ行くにつれてしぼむ感じは否めないんですけどもペプシじゃなくてLevisでもよかったと思いつつ。あっでもジーンズだと自販機に入らないし音が出ないからゾンビ寄せできないのか。ダメか。

自分にとっての最強のゾンビは大槻ケンヂさんの少女ゾンビ小説「ステーシー」なのですが、そのステーシーの漫画版では一番最初に正気に戻ったステーシーであるモモが「今日の日はさようなら」を歌うシーンがあります。
ステーシーたちは元々は15歳から17歳の少女で、ある日突然死亡しその後短期間で起き上がった者がステーシーという意志のないゾンビになり人を食べる話です。人間たちはその少女たちを沈黙させるため、「再殺」を行います。再殺部隊の男たちは自分がかつて愛し、かつて殺した少女の面影を見出しながらステーシーを再殺します。
始まりも終わりもすごく理不尽な話なのですが、その理不尽さはこのWWZと共通のものだと感じます。ある日突然わけのわからない理由で、あるいは理由もなしに人が死ぬだけでなく、戦わなければならないのです。神様が気まぐれで今日そうしようと決めたのかもしれません。生きた人間には二度と戻れない、今日の日にさようなら。ゾンビ映画は永遠にその理不尽さを抱えるのでしょう。スタッフロールを見ながらそんなことを思いました。
まあ予算が足りなくて力尽きそうになったとか、グロ禁止令にて流血やらはらわたやら人食いシーンをおさわり禁止にしたとか、制作が遅れてラストシーンが差し替えになったとか後からいろいろ聞くと夢がないんですけど普通に面白かったです。ジェットコースターに長く乗れていたようなやり遂げた感。

最後に、ブラッド=ピットという俳優について。
わたしが今まで見てきたブラピ映画が恐らく悪いんだと思いますが、ニヤニヤしながらふらふらしてる役ばかりの俳優だと思っていました。スナッチとかMr&Mrsスミスとかがダメだったんだと思うんですけど。あとよく脱ぐなーと。今回は字幕で見たのも大きいのですが、表情の変化があまりなく硬い表情が多いのですがいい演技だと思いました。飄々と自分の推理を組み立て、世界をきちんと見つめ、家族のために戦う男として地に足のついたプロフェッショナルなエージェント、という雰囲気がよく出ていると思いました。逆に悲壮な顔をしたり、大声で騒いだりと悲劇の主人公型ではなかったところも静謐な感じで好きです。もしかしたら次作があるかも、とのことなので期待しています。と書いたそばから次作制作は決定していることを知り困惑しています。

でも、ゾンビの血液を飲んでしまったジェリーは何故12秒のルールを免れ得たんでしょうか?もしかして次作のヒント?
WHO建物内B棟でジェリーとタイマン張ったゾンビの俳優さんの演技力が素晴らしかったので、スタッフロールをきちんと見ると「WHOの建物内のゾンビ」とかきちんとキャスト付されているのを是非見てあげてください。

[映画]Pacific Rimが異常に面白かった

正直前評判がよろしくなさすぎて見るつもりがなく、むしろベネ坊(いつもシャーロックの説明をするときにベネディクト・カンバーバッチをジェームズだっけ?とか言ってしまうので呼称制定)が食が細いにもかかわらず一日五食だか六食だか食わされてえずきながら作り上げた肉体美が見たいので「スタートレック イントゥ・ダークネス」を見たかったのですが、何故か旦那のごり押しで「パシフィック・リム」の3D吹き替え版を見ました。

やだすごいおもしろいじゃない…。

声を大にしておもしろかったー!と言いたい。まあ言いたい。すごい映画です。おもしろいです。
正直戦慄するほど面白かった。これはとてもすばらしいロボット映画ですね。ギレルモ・デル・トロ監督はクトゥルフ映画作ろうとして挫折するほどの変人とは存じ上げずにまったく興味がなく、メキシカンじゃなくてさまよえるオランダ人のような人だなと思っていたのですがすごい監督だと思いました。その評価はどうなのよと自分で思わないでもないですが。

身もふたもなく言うとザ・コアとゴジラとキングコングとウルトラマンとガンダムとヱヴァとマジンガーとジョーズあたりをミンチにして混ぜ合わせたやつに進撃の巨人と巨神兵とTRONとスターウォーズとトランスフォーマーあたりをスパイスにぶっ掛けてるんですけど全然新しい料理できちゃったという仕上がりです。ザ・コアは海底降りて自爆が必要なのに主人公が生き残るところが同じなんですけど。
ヱヴァのパクリでは全然ありませんでした。ヱヴァの人造人間はものすごく人間くさい動きを物理法則を無視して行うんですけど、イェーガーはものすごい重量感を残しつつ、機械の動きをします。でもいちいちその重量感がリアルでCGとは思えないんです。カイジューはその点は生物なんですけど、やはりでかい者同士の対決なので重量感がすごいんです。めちゃくちゃ大きくて重い者同士がぶつかり合ってぐちゃぐちゃになっていく、その過程が手に汗握るんですけど、CGのクオリティを超えていて特撮のそれみたいなのです。そして爽快感。パイロットはすごく肉体酷使してる感。実際撮影は大変そう(ずっと宙吊り)だったので、俳優の疲労感は本物なんでしょうね。

鑑賞後に思ったのは「この面白さはボクシング見た後のやつじゃねーか」ということです。何だかロボ映画見た後のロボへの愛ではなくて、ヱヴァでヴンダーが無事飛んで涙出たのとは別種の感覚です。どちらかというと格闘技とかを見た後の感覚です。勿論ロボがリアルにもっさり動くところとかすごく良くて力が入るんですけども、世界タイトルマッチでどんだけ殴られていても必ず判定勝ちするんだよね!という安定感がめちゃくちゃな爽快感に昇華します。フルコンなのでマーシャルアーツでも空手でもいいです。武器も飛び道具も出ますし。
ロボならではの動力転用しての自爆とか被爆とかそれ以上の話の広がり方は全然ないんですけど、それをイェーガーのCGが現実を上回る素晴らしい出来で現実みたいにするんです。そこに不安はないんです。存在しないものだとはとても信じられないほど存在感があるからです。

ストーリーは特筆すべきことは別にありません。ある日突然カイジューが異次元から出てきてようわからんのだけど倒せたらどんどん増えるし対抗馬だったイェーガーっていうロボもなんか効果が落ちてきて使えなくなっちゃったよーヒーロー助けて!という中身のすっからかんなお話です。ヱヴァのびっくりドン引きストーリーの方がまだ広がりがあります。土曜日にやっていた勇者指令シリーズのアニメのほうがまだ敵のヴァリエーションが多いくらいです。ウルトラマンのような遥かな銀河の広まりも全然感じられません。何でここまで言うのかというとマジでストーリーに期待することが何もないからです。カイジューが出てきてそれを倒すためのイェーガーというロボが戦ってぶっ壊れてパイロットが死んだりするというそんだけの話です。でもストーリーがなくても全然面白かったんです。もうこれは映像がストーリーを凌駕してるとかそんな感じなんでしょう。

自分の中では人間の「ナニカ」の大量消費系映画というカテゴリがあります。要するに、主要キャスト以外の(場合によっては主要キャストですらも)無名の人間とするファクターを死ぬんだか殺すんだか、とにかく大量の人間の人生に影響があると確実に思われるシチュエーションで展開する映画です。単なるファクターなので後始末とかもしないことが多いです。人がたくさん悲しそうなわけなので拒否反応のある人もいるみたいです。

その中でも人間の「死」の大量消費系映画というのは恐らく受けが悪いのは大昔からで、殆どの映画では意図的に人間の大量消費のシーンを省いたり、逆にセンセーショナルに使ったりしています。同日には「ワールド・ウォーZ」も見たのですがこちらは後者だと思われます。大量消費を公表することで観客への効果を期待する演出です。
ただパシフィックリムではただひたすら監督の愛する映画へのオマージュのためにだけ人間が大量消費されます。ゴジラとか。ゴジラとかゴジラとか。多分モスラとか。そこに特に意図はないのかもしれないんですが、とにかく規模のでかい話にしようぜ!という意気込みがめちゃくちゃ伝わってきます。車が特にものすごい台数が破壊されまくっていて安全装置の警告音が癖になるくらい鳴り響きます。カイジューの上陸シーンでご丁寧に車をすり潰したりしていて満足感があります。

例えばロシアのイェーガー、チェルノ=アルファはもう正面から見たらそのまんまバルタン星人みたいなフォルムで本当にかっこよくて大好きなんですけど、やっぱりお約束上壊れます。でも人間みたいに死ぬんではなくて、それはやはり破壊の演出なのです。パイロットは死んでるのかどうなのかすら分かんないんですけどまあ確実に死んだよねというシチュエーションです。チェルノを維持するためにたくさんのエンジニアがいて、チェルノを構成するのにたくさんの原料が使われていて、チェルノの破壊で代替になるイェーガーもパイロットもないことをみんな知っていて、チェルノの破壊と共にその多くのモノが失われたのを感じます。希望が一つ失われたのだとはっきりとわかります。実際にはCGなので失われるものはないんですけど、劇中では大量の人間の人生が捧げられて叶えられていたチェルノという「希望」が一つ失われて、チェルノは人間を確実に大量消費しているのだなと感じます。単なる感情なんですけど、それがリアリティだと思うのです。単なるCGをリアリティだと思えてしまうのがとても面白いんです。

※ここで異様にチェルノ押しですがこれは中国産イェーガーのクリムゾン=タイフーンのぶっ壊れシーンが良く分からなかったため…です…orz

そんで菊池凜子と芦田愛菜です。とにかく全編で主人公は取りあえずイケメンヒーローなんだけどそれは二の次で、ひたすら菊池凜子演じる森マコがかわいいよ!かわいいよ!かわいいよ!というオーラだけで進行します。森マコの子供時代である芦田愛菜もとにかく愛でています。不必要に出演時間長いです。ギレルモ監督どんだけ森マコが好きなんでしょうか。きちんと生還させて殺さないあたりは、宇宙戦艦ヤマトの森雪ちゃんへの松本零児さんの歪んだ愛と全然違い、とにかくかわいく撮影したい!という愛が先行していて逆に理不尽さを感じるくらいです。なのでもうこれは菊池凜子の映画でいいと思います。吹き替え版では林原めぐみ様なのでもう最後はめちゃくちゃかわいくて仕方ありません。綾波レイに見えるまであと一歩というところまで行きました。自分も大学時代にやっていた前下がりボブカットの髪型に戻そうかと思うくらい菊池凜子がかわいく見えるのでもう病気だと思います。47Roninが見たくなるほど菊池凜子推しになります。
更に日本が戦場になったことを表す「萌&健太」とかいう作り込まれた看板といい、異様に日本が優遇されてる気がします。その割に日本のコヨーテ=タンゴが全然見えませんでしたのできちんと出演させたげてください!ガンキャノンのフォルムのみで確認しろと言われても無理でした!あと日本機なのに何故黒人司令官が乗ってるんですか!

あとはカイジューの脳みそにアクセスしてしまう博士コンビが異様にホモくさい(吹き替えもグレーゾーンの人)のとか、オーストラリア産イェーガーのストライカー=エウレカのパイロットの息子の方(情熱系クズ)が飼ってる犬がめちゃくちゃかわゆいのとか、脇役のはずのオペレータのテンドーさんがだんだんイケメンに見えてくる過程とか衝撃的なことがいろいろあったのですが、キャラクターたちもとても面白いです。

書きたいことの半分も書いてない気がするのですが、ダメ押しで音楽もとてもよかったです。民族系の効果音入りのベースの効いたオーケストラヒットが多いのですが、音楽のおかげで最高にテンポよく見られたと思います。これは映画館で見て最高によかった点だったと思います。エンディングの各イェーガーのカットも最高にかっこいいです。エンディングに使われていた「Drift」という曲もすごく良かったです。

いろいろ言われていますが、とても楽しめた映画でした。フィギュアとかプラモデルは本腰入れて作ってくれないのかなあ…!

 

[映画]世界に居ない人を想う

さて!ブログさぼってたわけです!

劇場版シュタインズゲート「STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ」見てきました。例によって旦那と合流バカンス中にです。各方面に御礼申し上げます。
池袋で見ましたが、結構盛況でした。しかしせめて喫煙所分けろや。

元々2011年にPSP版発売時に乗った口です。SF系ギャルゲということしかわからず、こともあろうに初回特典版を買うかどうか悩んだ挙句Twitterで「買った方がいいですよ!」というアドバイスを頂き(@kanamn様ありがとうございました)買いました。まだ転職前で在宅勤務だったので、購買力も時間もありました。特典は未開封で取ってあります。
今思えば買って本当に良かったです。
当時はエロゲもギャルゲもシナリオやキャラクターは知っている作品はありましたが、実際にプレイしたことはありませんでした。その後Fate/ZeroなどもPSPで購入していますが、シュタインズゲートほどの感動はまだ得ていません。

そもそもなかなかゲームをエンディングまでクリアすることが少ないのですが、最近積んでいないゲームのひとつです。
勿論最初はまゆりルートに突っ込みました。かなしかったです。まゆりを手に入れる代わりに世界を失った感じがしました。オカリンのメンタルが死んだまま生きていくであろうこともすごくつらかった。
クリスルート、TRUEエンドは続けてクリアしたのですが、あまりの感動でその日はハイになり分析記事などを読みまくったりしながら比翼恋理のだーりん(PSP)の初回版を購入したくらいです。こちらも特典は未開封です。まだクリアしきってないんですけども。もったいなくて。
SFシナリオや秋葉原ヲタク文化も最高に良かったのですが、やはり奇跡が論理的に信じられるシナリオなのがとても良いのだと思います。例え恋がそこになかったとしても。
世界に存在しないかもしれない人間を救うことができるのです。オカリンのとった行動が何に影響したかは明確にされていません。もしかしたら世界から消えるはずの人を救うことで、世界から消された人がいるかもしれません。その通り、シュタインズゲートのシナリオの及ぶ範囲では、一つのエンドに対して喪失するものがあります。オカリンは本来それを良しとはしませんが、自分の思う優しさで世界を許します。誰も死なないことは出来ないのだと主人公が気づいてしまう。そこが本来のゲームシナリオの及ぶ範囲だと錯覚させるように一つずつのエンドが出来ています。
しかしTRUEエンドでは本当により良い世界を取り戻すことができるのだ、ということが体験できます。これは近年あまり見ない傾向だと思いますが、プレイヤーに新しい希望をくれるシナリオとして最高によくできているのだと思います。
TRUEエンドを経て思ったのですが、脳内麻薬がドバドバ出る感じがします。ただのシナリオゲームでこんなことになると思いませんでした。いいゲームだと思いました。

そんなわけで劇場版の発表があったときには狂喜乱舞したのですが、いざ劇場版を見られるスケジュールがそろったところで同行者について懸念が出ました。
旦那と一緒に映画館に行こうと思ったのですが、旦那はゲーム嫌いだったのを思い出してしまったのです…。
ゲーム一緒にやりたいのにゲーム嫌いと結婚するなよと自分でも思いますけども、時間の無駄と言い切られてマジで返す言葉がない(オンラインゲームで数年棒に振ってる)のでどうしようもありません。
しかしTwitterでちょいと愚痴ったら、哀れに思った旦那がなんとiOSで発表されているシュタインズゲートを予習程度にやってくれるというではありませんか!
旦那と合流する日までまだ時間がありそうだったので、クリスルートとTRUEエンドだけでいいのでやってみてくれ!と頼み込んでみました。

旦那と合流当日、何と旦那がシュタゲマニアになっているではあーりませんか…。(遠い目)
クリス/TRUEエンドどころか全部ルート把握しているではありませんか…。おいどうなったんだと思いましたが、思っていたより面白くてやり込んでしまったとのこと。
ということで予想より進化した旦那と議論まで始まる始末。おいいい加減にしろ。

さて、劇場版ですがオカリンが美形すぎて違和感ありまくりんぐでした
まゆりがあまり出なかった、のは当たり前かと思いますが動くクリスがかわゆくてよかった。しかし秋葉原でまゆりの服めちゃくちゃ浮いてませんか。あと日本の夏にクリスの服めちゃくちゃ浮いてませんか。ブラウスの中に保冷剤とか貼らなくて大丈夫ですか。髪の毛びちょびちょしませんか。
あとフェイリスがあまりでなくてさびしかったです。フェイリスルートが実は一番好きです。
クリスがオカリンのことを思い出せなくなってわーっと声を上げて泣き出すシーンがありましたが、思わずもらい泣きしそうになってしまいました。ツンデレが声を上げて泣くっていうのはよっぽどのことだと思いますのでものすごくかわいそうだったです。あの演出いいと思います(笑顔)
ダルのフォトショのくだりは劇場でも笑いが漏れてましたね。鈴羽ママはあんまり容姿とか気にしていないような雰囲気に受け取ったのですが。
そして鳳凰院に浸るクリスが切なくもかわいい。
また、クリスが雨の中岡部に接触するのは鬼子母神の駅なのですが、自分が元々住んでいた場所なのでとても感激でした。周囲の絵も結構その通りだったかもしれない。

考察等書こうと思っていたのですが、たくさんの考察サイトがあるので大半は控えることとして。
わたしが興味を持ったのは、岡部を取り戻した世界線(すなわち映画のエンディング以後)においてクリスがタイムマシンを制作しなければパラドックスが発生するのではないか?というところです。
鈴羽が現れたのはSG世界線であり、R世界線に移動してしまう岡部を救うためにSG世界線において岡部を失ったクリスが制作したタイムマシンに乗ってきました。
一度目の岡部の消失でクリスは鈴羽のメッセージなしに岡部を思い出さなかったわけですから、恐らくSG世界線のクリスが消えた岡部に気付くのは本来もっと後の話なのだと思います。
その後クリスは未来の自分が制作したタイムマシンを使い、幼い岡部の記憶に割り込みを繰り返します。
R世界線で携帯電話を触っていた岡部がSG世界線に引き戻され、クリスと互いの存在を観測したときに記憶の割り込みを感知しますが、この時点で「岡部の過去にクリスが存在した」という事実が確定しなければこの感知は発動しないのではないか?と思ったのですが。

シュレディンガーの猫の理論のような「岡部がいる」「岡部がいない」という状態を混沌化しているという世界線の説はないようなので、恐らくSG世界線で岡部がいる場合+いない場合、R世界線で岡部がいる場合+いない場合、といったように分岐するのだと解釈しています。
その場合、SG世界線で岡部がいない場合にはクリスによってタイムマシンが制作されました。
R世界線では岡部しかいない状態が描かれていますので、恐らくクリス自体が存在しないものとして影響はないのかもしれません。
その後、SG世界線には岡部が戻るため、クリスによってタイムマシンが制作されないように思えます。
ですが「タイムマシンが制作されないことが確定した」場合には、「岡部の過去にクリスが存在した」という記憶が岡部にもクリスにも存在することがエンディングで確定していますので、この記憶の根拠がタイムマシンの存在に依存しない場合にはパラドックスになると解釈します。
もしくは、クリスが岡部の存在と無関係にタイムマシンを作るのでは?と思いますが。

という話で危うく旦那と喧嘩になりかけましたが、どうも下記のまとめ内ではパラドックス(あるいは以前のシナリオの不備)と指摘されているようなので考えるのをやめておきました。
確かにタイムマシンを使ったのにSG世界線に変動なし、はダメなのかもしれない…。

劇場版『STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』感想まとめ。クリスティーナの可愛さが異常すぎるだろ!!

90分ではかなり押し殺した感じのシナリオでした。
せめて120分欲しい。最期が駆け足過ぎる。

しかし池袋はドクペのペットボトル完備してるのに来場者プレゼントはなしかよ!(なくなっちゃったらしい)
しかもなしかよ!と思った次の週には次回プレゼント発表になって涙目だよ!と荒れていました。
パンフレットは入手したのですが、わたしよりのめりこんだ旦那が電車で読んだりしてある意味大変でした。

さて、ゲームのほうですがPSP版が出るまで待つつもりです。
何故かというとすぐ積んでしまうから…。
しかしシュタゲは補完が欲しすぎて小説から何から知りたくなってしまって大変ですね。

[映画]何で今更ヱヴァQの話をするのと思うと思う

お世話になっております。連日運転がクソ下手な前の車を口汚く罵倒しながら進んでいます。

正月バカンスの話から遠く離れていて今更そんな話をするのもどうかとは思うのですが、正月に池袋で新世紀ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qをお陰様で拝見することができました。
正直全然見に行く予定がありませんでした。
映画館で映画を見ること自体は好きなんですけど、モノ食ってる余所の人とか走り回ってる余所のお子さんとかも大分苦手で、何よりトラウマがあるので映画館はあんまり好きじゃないんですよ。
トラウマっていうのはジュラシックパークをナイターで見に行ったことなんですけど。
ジュラシックパークなので、異様に視聴者を驚かす仕掛けとか恐竜が画面いっぱいに食いついてくるシーンあるじゃないですか。あれで体がビクッてなるんですよ。そんでビクッてなると映画館の椅子って全部つながってるから横列の人にめちゃくちゃ迷惑かかるじゃないですか。
まあわたしが迷惑かけたほうなんですけど。迷惑かけないように未だにあんまり映画館で見ないようにしていました。閑話休題。

まあ今更感があるヱヴァQでしたが、個人的にはホモホモしいカヲル×シンジのポストカードとかもらえてとてもよかったです。あ、巨神兵もとてもよかったです。
巨神兵がよかったところは唐突な上に意味不明なところだと思います。
このインタビュー見て思ったんですけど、ジブリとガイナックスの「世界の崩壊」の描写は凄く似ているという既視感があって、それがうまく発動されていた感じです。

昭和59年 宮崎駿とヱヴァンゲリヲン 庵野秀明のナウシカ愛
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/536

勿論巨神兵はあくまで宮崎作品の世界に存在するものであって、それを描く手伝いをした庵野監督の中に「宮崎駿の世界観」が刷り込まれているであろうことはよくわかります。
それを踏まえてわたしがより良いと思うところは、宮崎監督と庵野監督の世界の崩壊についての表現に違いがあるとすれば宮崎監督は「世界の終わりの終わり」で、庵野監督は「世界の終わりの始まり」を描くのが好きなんだろうなと感じられるところです。
どちらも世界が終了することを前提としています。世界の、というのは現行の人類の世界のという意味です。ナウシカの原作ではその世界の終わりのずっとずっと先でもまた世界が終わる日の分岐を描いているのだと思っています。ナウシカたちは既に終わった世界が息を引き取る瞬間にそこに立っている存在なのだと思います。
それに対して、「巨神兵東京に現わる」では突然の世界の終わりを描きます。ヱヴァでもそうなんですけど、世界の終わり「の始まり」を描きます。歪んで狂って崩れて世界がなくなってしまう、という瞬間です。
姉が弟だかなんだかよくわからない存在に警告を受けたにもかかわらず、恐らく巨神兵によって滅亡する東京という都市で最期を迎えた(であろう)ことも全然意味がなくて素敵だと思います。世界の終わりっていうものが本当にリアルです。予兆があって理解できない現象が起こったとしても、終わる世界の始まりでは何の意味もないという絶望感があってとてもいいです。
特撮の技術やシナリオの演出といった映画監督としての技巧ではなく、庵野監督の世界の終わりの認識を表すものとして「巨神兵東京に現わる」は優れた作品になっていたと思います。
「風の谷のナウシカ」において世界が一度巨神兵に滅ぼされたというシナリオが予め与えられていたから、という理由があったとしても、世界の終わりの始まりを記録する映画として本当に素晴らしいフィルムだと思います。
でも特撮で特に良かったのはビームです。ビーム超リアル。ビームすごい。ビーム一押し。ビームの閃光の後の爆発とかマジかっこいい。すみません特撮のビーム大好きなんです。

そいでヱヴァQ本編で最もよかったのはWunderです。
Wunder最高すぎて鼻息荒く魅力を語っていたら映画館出るとき同じ列でポップコーンばりばり食い荒らしてたヲタクが「お前マジかよ」みたいな顔をしたのでヲタクの風上にも置けないと思いました。
メカヲタならまずWunder見るべきです。あのようわからん造形を描き切ったメカデザは山下いくとさんだと思うんですがマジすごいです。素敵です。神です。
最も感動した瞬間はWunderが飛んだところです。あの瞬間のミサトさんは全作中で最も輝いていて男前だと思います。涙が出てしまいました。メカすごい。こんなに感動するなんてすごい。あんなもん飛ばすなんてすごい。
アスカが何であんなに荒れてるのかようわかりませんがWunder壊さないでほしい。

忘れるところでしたが作中何度か涙が出てきた瞬間があり、ランキングにすると
一位:Wunderが飛んだ!飛んだよ!
二位:青葉さんが生きていたことにより子安武人御大の素晴らしいセクシーボイスが響いた冒頭、出演しないかもな懸念が破壊されて一安心
三位:場末のキャバ嬢のようなシンジの前に現れシンジの心の支えとなったイケメンホストなカヲルくんが頭爆発して粉々になり放送事故要因化
といった感じでした。大人になったなあと思いました。
しかし三位はテレビ放送通るんでしょうか。

シナリオとか考察とかについては既に無数のブログで紹介され、考察され、解析されているのでよろしいと思います。
しかしマリちゃんの存在はただひたすらキレまくるアスカと汚い大人モードのミサトさんを中和してくれて大変和みました。歌とか歌うところがとてもいいですね。カヲルくんは全然歌わないですし。
今回カヲルくんがシンジくんと無駄に連弾とかしているのを見ながら、ピアノをやっていた人ならわかると思いますがあのシーンでは大変高度な作画技術が使われていて度胆抜かれました。
流れている音と画面上で人物が押している鍵盤が合っているんですよ。これが割と困難で異常なことであるというのは今までのアニメ史で何となく認識していたのですが、音先撮りでデジタル作画できるようになったので実現したんでしょうか。かの「のだめカンタービレ」でも実現してなかったと思うのですが。Wunderの描画や亜空間の表現もですがデジタル作画の恩恵を感じました。
何しろピアノ内部の打鍵によるハンマーの動きも同期していたので異常なほどの注力を感じて震えたくらいです。演奏者のフォームなどの人間工学的な描写についても非常に自然で、恐らく実際に連弾をするモデル奏者などがいたのかもしれませんが偏執狂的なまでのリアリティがあったので音楽関係は本当に手を抜いてないです。
これが鷺巣詩郎御大の発案とかで忠実に庵野監督が実行したんだとしたら、というか実行しているので変態だと思います。
でもね、本放送のシンジのチェロシーンが全然思い出せないの…。(当時チェロ弾きだったのに)
同期描画のめんどくささはチェロの方が上だと思いますので変態作画(褒め言葉)は是非やってほしいと思います。
音楽の美しさについては言うことないです。楽典上の美しさはこの際どうでもいいと思います。鷺巣さんの音楽のリアリティはたまに訪れる不自然な不協和音だったり、終わりそうで終わらない和音で途切れてしまう譜面にあると(昔から)感じています。カヲルとシンジのシンクロで大切なのは、オーケストラヒットでも描画できたはずのBGMを完全にピアノのみの連弾の世界に閉じ込めたことではないかと思っています。そこまでしても二人は一人になれなかった、というシナリオにおいては絶妙に配置された絶望の要因として、二人だけの閉じられた世界を表したものなのだと思います。

ヱヴァQは全体的に悲しみの話です。その代わりパンドラの箱のように、底には希望があります。しかしQの分岐が例えばTHE END OF EVANGELIONからの派生だったとしたなら、失われた14年間により多くの悲しみがあって本作にはより多くの希望が残ると思います。少なくともアスカが元気で生きていることやWilleを作ったとしてもミサトが無事なことから、かつての劇場版で途切れたと思われていたヱヴァの世界に希望を与えてくれたと感じます。
ヱヴァ破までの生き生きとした世界とはもしかしたらつながらないのかもしれませんが、そういう示唆を与えてくれたというだけでもQはとても価値ある一作になったと思いました。

さて、テレビシリーズのエヴァンゲリオン放送当時にシンジと同じく14歳だったわたしですが、こうしてミサトさんの年齢を超えながらもまた新しいエヴァンゲリオンに出会う楽しみが得られるということは本当に良いことです。
当時は14歳の自分が可能なことを通して能力の限界というものについて考えさせられたりしていましたが、あの日から十数年経った現在もあの日に続いていて、しかも大して出来ることが増えたわけでもないです。でも何とか生きている。ヱヴァを見て自分の存在に不安を抱くだけだった14歳のあの日が、確実に役に立っている。
でもそういうことを改めて、新しく感じられる機会があるということが、今の自分にとって良いことなのだと思いました。
そんな思いを抱えながら映画を見終えて、映画館のロビーでレイとアスカとマリのグッズを漁るおっさんとカヲル×シンジのポスターを握りしめる腐女子に旦那と二人でまみれながらWunderのプラモを探した。なかった。絶望した。

それにしても再現漫画が良くできていて死ぬほど面白いです。

【ネタバレ注意】エヴァンゲリオン新劇場版「Q」の内容を分かりやすく漫画化してみた
http://www.kajisoku.org/archives/51819478.html