[社会]観念がそもそも歪んでいると思う話

プレジデント読むような仕事とかしてないんですけど(いろんな意味で)面白いのでよく読んでいます。

先日下記の記事を読みました。
「お金のために働く」が増加 -2000人調査!軋む働く者の意識【1】
※記事は数ページあります

読んだ後の率直な感想は「どうも読み取り方が歪んでる記事だな」というものでした。
設問は「あなたが働くモチベーションはなんですか?」で、
結果は「仕事をする源泉である「働くモチベーション」については、過半数が「お金」と回答」だったのですが、
日本もやっと普通のことを普通に公言するようになったなーと思ったらその解釈に度胆抜かれました。

※抜粋

しかし、残念ながら今回の結果は仕事に対する意欲や前向きな姿勢ではなく、それとは真逆の『先行き不透明な時代に、頼れるのはお金のみ』という、後ろ向きの姿勢の表れと受け止めています」と守島氏。その傾向は、「会社への忠誠心」や「会社の将来性」に対する回答を見れば、より明らかになるという。

え、どこが?!
どこからそんなもん読み取れるの?!

ていうか忠誠心が必ずあって、会社の業績を無視して将来性を信じてなければ仕事しちゃダメなのかなにかんがえてるんだおっさんと思いながら読み終わるまでポカーン。

働く人たちの閉塞感が読み取れる、というところまでは否定する気はないです。
実際に閉塞感を生んでいるのは雇用機会が減っていて、好きな会社に好きなように就職・転職するといったことが難しくなっている。これは事実です。
でもそれでお金しか信じられないという方向へ意識が向き後ろ向きな姿勢と評価する意味がわかりません。

勤め続けても、出世したり給料が上がっていったりという保証はない。

これもモチベーションについて何故影響があると断言できるのかよくわかりません。
保証を求める人も勿論いるのだとは思いますが、そうではなく現在の給与をもっともらいたいから働くというのが大きいのだとわたしは読み取ります。
将来どうなるかということではなくて、明日の生活もままならないような給与しか出せないよ、という企業に困っているだけではないかと思うのですが。
出世したくなったときに出世できない、給与の大幅アップを狙っているときにアップしないという話ではないのです。

やたらと仕事のおもしろさやらやり甲斐やらをあげつらいますが、そもそも仕事って面白くできているものではないです。
特に日本では面白い仕事は主に上の年代がつぶすので面白くなくなります。
働き甲斐を感じてほしいなら社会や企業がそういう下地を用意しなければなりません。働き甲斐を感じない方がおかしいという論調が既におかしいです。

分析したおっさんが非常に偏った観念を持っているので、出ているデータがまったく無意味になっているように思われます。
出ているデータの淡白さと、その解説の陰湿な解釈方法がものすごく乖離しています。
でもそういう記事を有難がってこういう風に載せてしまい、読む側はこういう記事を「なるほどなるほど」とか言いながら納得して読むような偏った頭の経営者ばっかりなんですよ多分。
せっかくいい調査なんだから、その意味を素直にくみ取れないもんなんでしょうか。

これじゃー日本再生とか無理だよな、と思う話でした。

ちなみにそこらへんの若者に「給料上がったらうれしいか?会社やめないか?」って聞いてみてください。
給与が上がったって我慢できなくなったらやめます。やめていいんです。会社やめるかどうか聞くならまず先に金ください。失業保険3か月後からしか出せないとか本当にいいお世話です。
やめられないのはやめられるタイミングではないからです。そのタイミングですら他人が支配しているのが今の日本です。
その実態を理解できないと「ブラック企業は自由にやめたらいいじゃん」になるんだと思っています。

[エンジニア]不安を無視する者だけが職を得られる

エンジニアってどうやって生きるんだっけと思う今日この頃です。

こんな記事を読みました。
なぜ「応募資格:JAVA業務経験2年以上」のような求人がエンジニアに見向きもされないのか

そいで、ハンス・フォン・ゼークトというおっさんがお話になられたという軍隊の人材話を思い出しました。
まあドイツの気質はなんか日本人に結構似てて、みたいな話はよく聞くんですけども、東北のぐだぐだじめじめした梅雨真っ最中としては、このべっとり澱んだ晴れもしない灰色の空みたいなのを見つめて来る日も来る日も寒いのを我慢してたらこうなるよなあ、みたいな暗くて陰気な人間性が容易に連想できたので止めました。

ハンス・フォン・ゼークトというおっさんは「無能な働き者」のお話をしたということになっています。

ハンス・フォン・ゼークト – Wikipedia

ちょっと引用してみます。

現在のところゼークトの説であることを示す証拠はないが、広く一般にゼークトの提唱した理論として認知されている。
軍人は4つに分類される。
有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。
理由は主に二通りあり、一つは怠け者であるために部下の力を遺憾なく発揮させるため。そして、どうすれば自分が、さらには部隊が楽に勝利できるかを考えるためである。
有能な働き者。これは参謀に向いている。
理由は、勤勉であるために自ら考え、また実行しようとするので、部下を率いるよりは参謀として司令官を補佐する方がよいからである。また、あらゆる下準備を施すためでもある。
無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。
理由は自ら考え動こうとしないので参謀の進言や上官の命令どおりに動くためである。
無能な働き者。これは処刑するしかない。
理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こすため。

なかなか洞察力の鋭いおっさんだったんだなと思います。少なくとも管理職の器ではあります。その論ですべてを説明できると思っていたとしたら愚かに思えないわけでもないですが、でもこのおっさんがこの話をしたことが事実ではないかもしれないので、「観察眼のある軍人としては有能なおっさんだったのかなー」というところで留められると思います。

そして上記のことはゼークトではないよそのおっさん(クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト)が管理職についてのみ語ったという説もあります。管理職に限定して語っているということがとても素晴らしいと思います。下士官の質は上官により決まるという軍隊の基本的な特質が良く分かっていると思います。管理職の中でも真っ先に死ぬべき、それも味方であっても処刑するべきときっちり仕分けしているのがドイツ人らしい厳格さで好きです。(偏見)

何故求人の話からこれを思い出したのかというと、「応募資格:JAVA業務経験2年以上」とか求人に書いてしまう企業の体質がまさにこの「無能な働き者」であるなあ、と実感しているからであります。
そしてわたしのイメージとしてのできるエンジニアは「有能な怠け者」です。

自分にとって無能な働き者の具体的なイメージとしては「できもしないことをやらねばならぬと思い込む」「知らないことは良く調べもせずすべてできるものと判断する」「自分ができないことを他人にやらせる」「他人の評価を正しく行えないにも関わらず操作しようとする」「長時間内容もなく動き回っているが勤勉で有能だと自己評価している」というあたりなのですが、これはまさに日本企業の管理職のイメージとぴったり一致します。
そしてゼークトのおっさんはこれは「処刑するしかない」と述べているわけですが、何故日本においてこの層が処刑され得ないのかというと「有能な怠け者」を使役できる立場にあると思い込んでいるからだと思っています。

要するに無能な働き者が何故か企業の上位に君臨するようになったことで、本来それを使役すべき有能な怠け者が企業から逃げるか死ぬかでいなくなってしまい、無能な働き者が経営者とか管理職とかに固定されていて死ぬべきだけど死なない、みたいな問題があると思っています。

「応募資格:JAVA業務経験2年以上」の書き方はまさにこの「無能な働き者」がドヤ顔で書き出した内容にしか思えないわけですよ。
実績が欲しいことは分かります。業務経験と書くのはその心理の表れなのでしょう。
でも特定の言語をある一定の年数以上やっていないと応募できないよ、というのはどう考えても中身がありません。せいぜい役に立ちそうだとしたら、「オブジェクト指向言語が出来ない方はご遠慮ください」とかそんなところでしょう。
業務内容を書かない、というのが単に不安をあおるだけということもよくあります。同じJavaであってもWebとクライアントとかなり違います。Webと書いてあるんだけど実態がJSPとかは避けたい物件です。いやJSPでも大規模で納期まで余裕があるとかならわかりますけど、納期10日で1人で作ってねとか普通にあるので無理です。というかわたしが無理です。
またプログラム言語が出来る→何か作れる→デザインもできるでしょ、みたいなのは昨今ありすぎて涙が止まりません。プログラマはデザイナではありません。でもホームページとか「片手でできるでしょ?」みたいなリーズナブル感でデザイン面で死ぬほど罵倒されたりもします。「すぐできると思った」という理由で数十ページのECサイトを20万で請ける営業とかマジで存在します。でも死にません。死ぬのはプログラマの給与とかボーナスとかプログラマ自身です。
要するに何の言語を使うと何ができるのかを知らない、何に使うものなのかも知らないという人がこういう求人を書かせているんだなと思わせてしまうものがあるんです。
でも求人はしたい。働かせたい。それだけは透けて見える。

地方で就職活動していて思ったんですが、こういうの真に受けてはダメですね。
ジョブホッパーと言われようが「何でもできますよ」と言い、どうもダメそうな会社だったらとっとと辞める、そして星の数ほどある会社にまた入り込むという生活ができるなら、そのほうがいいです。
インド人やアジア人の話でよく聞くのが英語をちょっとでも知っていたら「英語がバリバリできる」とアピールするというエピソードですが、もう日本人でもそれでいいんだと思います。
ちょっとでも知っていたら「できます」と言い切れる面の皮の厚い人が競り勝ちます。なんたって日本企業の求人では面接はしてもコード書かせてまともに評価する会社すら珍しいんですから。そもそも無能な働き者である管理職は「業務経験でJava2年やりました」と言ってくれる人が好きなのであって実際にJavaが書けるかどうかとか評価できません。評価する下地がありません。
まあ地方についてはホッピングできるほど会社の数がありませんので、全国で在宅勤務可能な転職先を切実に募集しています。(地味にアピール)

無能な働き者である管理職を銃殺できる企業は恐らく日本には存在しないと思いますので、今後は有能な働き者が仕掛ける戦争などによって無能な働き者が絶滅するといいなあと思いながら今日も求人サイトを見ています。

※すべての管理職が無能な働き者ではない、というのは当然ですのでそういう話ではありません。

※恐ろしいことにわたし自身実はJavaの業務経験は1年ありません…。C#でもぐりこんだはずなのにVB.NETを書いています…。

[社会]自家用車通勤させる社会が通勤に向いていない件

よい季節になりました。
エアコンを付けなくて良い季節は春のほんのひとときと今だけです。
自家用車通勤になってから1年と少し経ちました。

転職時、車を持っていなかったわたしですが、今年1月に納車された某小型ハッチバックを乗り回し…ていないです。
ディーラーに定期点検に持っていくたび、
「もっといっぱい乗ってください(意訳)」
「もっと乗らないと車がダメになるだろうが(意訳)」
「オメー車遊ばせておいて大事にしてるつもりなんじゃねーだろうな(意訳)」
という感じのことを言われて返されますが一応快適に動いています。
まあ、今3000キロちょっと乗ったところなんですけど。
ええ、全然車乗る気ないのは自分でもわかっています。
距離を稼ぐ形で動かしておかないとブレーキがさびちゃうぞ(意訳)ということらしいんですけど。

そもそも何故車を買うことになったのかというと、転職先のためではなく出向先のためでした。
せっかく車の要らない距離の転職先を探したのに踏んだり蹴ったりです。
買わずに済ますことも(恐らくすげー無理すれば)できたのですが、流石に社用車、それもXX年前の軽乗用車を氷結の中駆って遅刻しかけてから自分の車を買うことにしました。

わたしの通勤経験と言えば、東京に住んでいた間の電車通勤しかありません。
田舎に住んでいた学生時代はバスも使いましたが、田舎のバスは1時間に2本、時間通りに来ればいい方でたいていは誤差30分以内。
冬場はどんなに寒くてもバスを待つしかありませんでした。

それが、車で会社に通うようになってからものすごい違和感に気付きました。
何だかものすごく疲れるんです。
仕事は正直なところ、東京の会社でやっていた業務の半分以下なので疲れるものとも思えませんが、最初は運転し慣れないことと出向先で緊張しているんだろうと思っていました。
でも時間が経ってもどんどん違和感が酷くなっていきました。

家に帰りつき、東京で暮らしていた時よりも早く家に着くのですが、何だかものすごく時間がないのです。
例えば東京では家に着くのは19:30、現在はうまくいけば18:00、遅くても18:30くらいだと思います。
でも寝るまでの自由な時間が全然ありません。
明日も事故を起こさずに安全に運転しなければ、と思うせいか、早く寝なければ疲れが取れないので、夜に一人でプログラムを書いて遊んだり、ゲームをするどころではなくなっています。

朝も何だかイライラします。
どうやら道路整備の酷さ、周囲のドライバーの危険運転がイライラさせる原因なのはわかりましたが、いつもものすごいストレスを感じています。
そういう生活を1年続けてみて、やはりストレスだと思ったので分析したことを書こうと思いました。

田舎全般に当てはまることではないかもしれませんが、少なくとも自分の生活に大きな影響を与えていると思われることです。

①フレックスタイムがないので、不自由な時間に一斉に人が動き出してストレスを増幅させる。
これは東京でも当てはまる地域があるかもしれませんが、田舎は本当に「定時」という概念をやめるべきだと思います。
破綻した地方政治が支えきれなくなってほったらかしのでこぼこで猫の額のような狭い国道、度重なる事故による摩耗と老朽化をだましだまし使っている橋、整備がなっていないせいで事故が頻発する交差点、そのものすごく危険な道路を都会の交通量を超えるいろんな車種が渋滞を起こしながら会社に向かうわけです。
その設定が8:30などに一律に設定されているので、例えば同じ会社に向かう車同士でのレースになったりします。
電車のように「次5分後に来るから待つか」などということもできません。
せいぜいコンビニに入って少し休憩する程度ですが、それも「定時」のせいで遅刻したら困るのでできないんです。
「苦労しても努力して定時に会社に集まるのが美徳」と未だに思っているような田舎の経営者が、田舎の経営者たる低い資質しか持ち合わせていないのをひしひしと感じます。
※もちろん、フレックス導入していて成功している先進的な会社もあります。念のため。

②車の運転は、それ以外のことができない。
わたし自身が最も自家用車通勤を厭う部分はこれでした。
ある日突然気が付きました。運転以外のことができない。
電車で通勤することはものすごいストレスだと思っていました。
見知らぬ他人と乗り合わせて自分だけの世界を一生懸命維持しながら会社に向かっていくことは、疲れることなのだと。
でも本当に疲れることは、自分の命に責任を持ちながらほかの作業を許されず会社に向かわなければいけないことだったんだと初めてわかりました。
更に残念ながら、自分が気を付けていてもほかの車が失敗したとき巻き込まれたら同じ結果になります。
電車のつり革につかまってうたた寝することも、壁にもたれかかりながら携帯を見ることもできません。
まさか電車通勤を贅沢だと感じる日が来ると思いませんでした。
会社に向かうためだけに運転して、会社から帰るためだけに運転して、その間は自分で事故を起こさないようにとか他人にぶつけられないようにとか、マナーのなってないチャリを轢かないようにだとか痴呆で飛び出してくる歩行者を轢かないようにだとかそういうことだけに消費するわけです。
唯一音楽だけは自由になりますが、カーステレオにお金をかける輩が出てくるのは仕方ないことなんだと思うようになりました。

③そもそもどうしても車がなければ通勤できないのに、補助がない。
要するに「会社側が社員を通勤させるためには車が絶対的に必要だが、それは社員の財産から出させている」点。
まだギリギリ数万円でもボーナスの出る会社なら、きちんと燃料費が出るでしょう。
ですがこのガソリン高騰時に原価以上で計算してくれる福利厚生の厚い会社はそれほどありません。
例えば走行距離から割り出される「移動費」は出ますが、夏の35度を超える中の通勤で不可避となる「エアコン代」とか、冬の零下に対抗するための「エアコン代」とか、事故を起こさないための「スタッドレスタイヤ」「タイヤ履き替えコスト」とか、そういうものは出ません。
忘れがちですが、そもそも従業員の車で来させているという時点で「個人の車を通勤に使うコスト」も完全に無視されています。
これは会社だけの問題ではなく、政治も問題があると思います。
公共の移動方法がないのですが、車の購入費・整備費は「ぜいたく品」として車を維持する都会と同じか、それ以上のコストを要求されることが分かっていながら、労働者にそれを強いるわけです。
現状、地方では「平均給与額がこれくらいだから」という理由で業務や職能とは無関係に給与が低収入に決まってしまい、そこから通勤で摩耗される個人の車を維持していかなければならないのです。
実際に収支計算をするとぞっとしますが、「みんなこれくらいだからね」と言いながら仕事と無関係に手取りが決められて、その給与の中から自家用車を用意し会社に行くことを求められるということです。
自家用車を用意するときには車庫証明、車代、取得税などがかかり、それを維持するためには車代(ローン)、保険、駐車場代、自動車税などがかかります。
手取り20万以下で生活しながら実際にそのお金をなんとか払ってそれでも会社に通うしかない社会です。
これ、ものすごくおかしいと思いませんか?

主に自分がイヤだと思うことを3点に絞りましたが、実際には更に不都合なことがたくさんあります。
車を運転しながらイライラしていたのは無意識にそういうことを考えてしまうせいなのでしょう。
在宅勤務のときには「電車通勤はもうイヤだなー」とか軽く考えていましたが、自家用車通勤をするようになって田舎の人間の適当さと愚鈍さを同時に感じています。
通勤すればするほどコストがかかる、ということを誰も分からないし、変だと思っていないんです。
通勤して当たり前だと思っているし、通勤できなければ働けません。
でも自家用車通勤を成立させるための条件が社会に全然整っていない。

明日も事故を起こさないようにおっかなびっくり運転して、ストレスを感じるのだろうか。
電車通勤にストレスがないとは言いませんが、電車の運転士さんに安心して命を預ける生活に戻りたいです。