[書籍]秘密を持ち歩くには

秘密(トップ・シークレット) 5 (5) (ジェッツコミックス) 秘密(トップ・シークレット) 5 (5) (ジェッツコミックス)
価格:¥ 820(税込)
発売日:2008-07-29

実は読みかけなので、ストーリーそのものは全部読みきってない。
一冊が通常の単行本より厚くて豪華なのもあるけど、
毎回購入するときの覚悟が必要な作品。
何故「覚悟が必要か」という点は追々。

わたしは「少女誌」とか呼ばれる、いわゆる少年誌以外に分類されるマンガが酷く苦手だった。
この苦手意識は4歳くらいで「鉄腕アトム」とか「三つ目が通る」とか、
手塚治虫を自分で選んで買ってからずっと続いている。
何が苦手かというと、
・絵のふわふわ感、白っぽさ
・無駄な心理描写
・話のネタが恋愛しかない(これは最近は改善されているように思うけど)
・主人公はまったくモテない女か、男が道を築くほどモテる女
というのがわたしの主観のなかにあり、
それが偏見だとしても実際に読むのがしんどいので敬遠していたのであった。

その中にあっても清水玲子の書くマンガの世界は上記の条件から大きくブレていて、
とにかく「輝夜姫」をゆっくり読んだりした。
清水玲子のマンガのどこがいいかというと、
・美形しか出てこない
・ユニセクシュアル、クロスセクシュアルなキャラクターが多く、
物語のイベントを演じるキャラに性差がない(女の子が男の子の役割をやってしまったり)
恋愛がメインテーマじゃない
・ミステリー、ホラー、サスペンス要素が大きい

上記の太字部分の性質がわたし好みだったことが大きい。
もうわたしは恋愛を語るようなマンガを読みたくなかった。
人から借りる本全てに「彼はわたしを好きかしら?」とか、
「わたしは彼が好き!」とかそういうセリフが含まれるのが本当に苦痛で退屈で仕方なく、
そういうものを排除できないから少女漫画が嫌いなのだと思っていたが、
清水玲子の漫画は大好きになった。

ここでひとつ疑問があって、
清水玲子の漫画は少女漫画として認知されているんだろうか。
わたしの主観では「少女誌」というやつに連載されているので、
少女漫画に分類されるのだと思っているけども。

前述の「輝夜姫」は、
ぐや姫の子孫とそのイケニエになった子供たちが
自分たちが生き残るために、用意されたシナリオの破壊活動に奔走する、という話で
自分でわかっているけどこんな説明では話をぶち壊しにする。
長編なのでここで書き始めると無駄に行数が必要になる上難しそうなので、
wikiだけ貼って雰囲気が分かるといいなということを期待する。

輝夜姫 -Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%9D%E5%A4%9C%E5%A7%AB

この「輝夜姫」の連載はずいぶん昔に終わってしまい、
その後わたしはまた少女漫画と呼ばれる部類は買わないし読まないという生活をしていた。
「ハチミツとクローバー」がドラマ化するに当たってぱらぱらと読んだりしたが、
やっぱり一回読めばおなかいっぱいというか、
うだうだ続けるけども割とどうでもいい漫画だと思ったりした(面白いけど)。

そんな刺激のない生活にこの「秘密」が飛び込んできたのでありました。

「秘密」は深夜アニメ化ということで、コンビニで売っていたのを
「わー清水玲子だ」という何気ない気持ちで手に取ったんだけど、
はっきり言うと、読むと後ろめたい
精神的に来るものがある。

この作品の「秘密」というタイトルに全て込められている通り、
読んではならない、読まれるはずではなかった「秘密」から謎解きができるという、
そのテーマに尽きる。
何故「秘密」が暴かれてしまうのかというと、
死亡した人間の「脳」を覗くことができる技術が開発されたという
重大なイベントから始まるストーリーだからだ。

秘密  -Wikipedia
※詳しくは「MRI捜査について」の項で
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86_%E2%80%95%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E2%80%95

初めて読んだときは戦慄した。
何にか、というと、自分の持つ秘密の大きさに。

普通に暮らしていても、人に見られてはならない秘密をたくさん持っている。
犯罪、という意味でなくても、生きていることそのものが人間にとって秘密を持ち歩いていることと同じだと思った。
死んだから、もう生きていないから、秘密は消滅したと思っていても
MRI捜査が実現してしまえば、生きていたということを消せない。
自分が死んだ後、自分の全てが見られてしまう。
死んでいるから、秘密を消せない。

作中では、自分の死んだ後に脳を見られる可能性のプレッシャーに耐えられずに
頭を打ち抜いて死のうとするシーンが多くある。
でも、
かにわたしもそうすると思うのだ。
例え死ぬ前のたった5年間、その映像だけを誰かに見られるとして、
自分が死んでいたとしても耐えられる自信が無いから。

勿論、フィクションだ。
自分が死んでも脳を見られる心配など、現実にはない。
でも、一度この作品を読んでから
「秘密を持ち歩くにはどうするか」ということが頭を離れなくなった。

秘密はないほうがいい。
人が抱える秘密故に、殺したり殺されたりすることがあるかもしれない。
自分の脳の中身は自分だけのものと思わないことだ、
と思っていたってこうやって生きてものを見ている限り秘密は蓄積されていく。

殺したり、殺されたり、見たり聞いたり、
逃げたり、騙したり、やってはいけないことをしたり。
近親相姦、傷害、道に外れた恋愛、復讐、逃亡、殺人。

非常にスキャンダラスでショッキングな内容なので、
耐性がない人は安易に購入しないほうがいいと思われる。
初巻が刊行されたときは品切れ続出だったそうだけど。

下世話な話にすりかえれば、
人の秘密を見ることができる話、というのは
もしかしたら最高の愉悦かもしれないから。
わたしのように一方的に自分の脳を見られる可能性に戦慄する人間がいれば、
もしかしたら他人の脳を覗く話を楽しめる人もいるかもしれない。

1冊読むごとにいろいろ考えがめぐるので、
まとめて買えない。
思えば少女漫画の話から遠くはなれてしまったけど、
それだけ、その分だけ、清水玲子の描くサイエンス・フィクションには
魅力があるのだと思う。
1冊買うときは1冊分の覚悟を背負って。

※蛇足
深夜アニメの出来も非常に丁寧でよろしいんだけど、
ビジュアル面は漫画とかなり違うし、
深夜と言えどやっぱりショッキングな内容なので
チェックされる方はやはり覚悟したほうがいいと思う。

※追加
わたしがわたしの「秘密」に対する怯えを感じているというテーマで書いたけど、
実際は幽霊とか妄想とか、見たものがそのまま記憶になるという
そういうシナリオで作中は進む。
その観点では「京極夏彦」の世界と共通するものがあるような気がするので、
「人間はなぜ幽霊を見るか」というテーマでblogを書くときは
清水玲子+京極夏彦を引き合いに出してみたいなーとか思っていたりした。

[その他]レイアウトの効果

本日は完全に自己完結する話題を述べると先に書いておく。

実は、わたしはこのblog=「Blog人」をずっと使ってきているが、
このBlogのレイアウトがだいっ嫌い
なぜなら、本文部分のwidthが自由に広げられないから。

User.cssを書くという手もあるんだけど、サイドバーの機能に不満はない。
本当に本文部分のwidth幅だけをどうにかしたい。
そんなことのためにいちいちスタイルシートを書いて検証したくない。

レイアウトの効果というのは本や新聞に見られるとおり、
ものを読むときに絶大な効果を発する。
レイアウトがよくない、読みにくいというだけで
打ち捨てられる文章はいくらでも転がっている。

レイアウトの効果は、実は書くときに既に発生している。
既に、わたしはこの本文のwidthが変更できないことで、
改行に気を使って書くというフラストレーションを抱え込んでいる。

本当は、無意味な改行は好きじゃない。
Webで掲示板に書き込むときのように流し読みに気を使う場合は別だけども、
自分のblogくらい自分の好きな改行をしたいしさせてほしい。
でも今のこの限られたレイアウトでいつものとおり書くと、
恐ろしいほどの読みにくさと苛立ちが発生する。

上記、本文で協調のBタグを使っている部分のためだけに、
わたしはBlogを書くという作業においてめちゃくちゃ苛立っている。
それこそ歯軋りしている。

かといって、画面いっぱい横いっぱいwidth100%のblogもいただけない。
Webデザインのアクセサビリティの推奨では、600pxくらいが良いとされている。
低い解像度でも安定して読めるし、
余白があることで目が移動する距離が減るので疲れない。
上記のデザインパターンにはわたしも大いに同意しているし、
左側に寄せてレイアウトしているサイトは好きだし見やすいと思う
(派手なデザインサイトは除くとしても)。

以上のことをあわせて考えても、
中途半端なのである。
カスタムパターンでこの程度に中途半端なので、
如何に致命的にレイアウトが殺されているかは想像してもらえると思う。
User.cssを書いてもいいんだけど
このレイアウトのバカさ加減のせいで!という怒りが先に立ってうまくいかない。

OCNさん早いところデザインぶっ壊してください。

このBlogの読みにくさは、勿論わたしのせいというところが多大にあるのだけど、
「読みにくいBlog」というものに出会ったときは
その利用しているBlogのデザイン、レイアウトにも原因があるかもしれないと
少し甘やかしてやってほしいな、と思うことがある。

[書籍]聖人を現代病に感染させるとこうなる、とか

聖☆おにいさん 1 (1) (モーニングKC) 聖☆おにいさん 1 (1) (モーニングKC)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2008-01-23
聖☆おにいさん 2 (2) (モーニングKC) 聖☆おにいさん 2 (2) (モーニングKC)
価格:¥ 580(税込)
発売日:2008-07-23

最近周囲で流行っていたので一気読み。
今までに無く、面白かったです。シンプルに。

内容は、「本物」のゴータマ・シッダールタ=ブッダと
イエス・キリスト=イエスが世紀末のお勤めを終えて、
有給を立川のアパートの一室で暮らしながらだらだら消費するという話。
それが「本物」なわけだから、
迂闊に世の中に哀れみをかければ後光が差し、
食べたいものを述べれば材料が家まで出向き、
危険なことがあると天界が動くという過保護っぷり。
ブッダとイエスの異様な仲の良さ、
聖人と思えぬ頭の悪さ、
持っている力に見合わぬ不自由な生活、
とかそういうものがコメディになっている。

作中にも出ている手塚治虫「ブッダ」でも描かれているし、
好きなんだけど人に言いにくい山岸涼子「日出ずる処の天子」とか、
もう脚色というか捏造なら誰にも負けない「ギャグ漫画日和」なんかもそうなんだけど、
聖人としての聖人像というのはもう(ずいぶん前から)受けてなくて、
ひたすら普通の人間に近い、むしろダメっぽい聖人像が受けていると思う。

聖人のことを描いた話というのは、
実は年齢層を選ばない割りに読者層を限定していて、
その理由は「聖人の特徴的な逸話を分かっている読者層」しか笑わないということがある。
聖人に限らず、何かのエピソードを語る場合は、
そのエピソードを知っている人の方が作品をよく見てしまう場合があり、
逆にそのエピソードを知っているが故に作品を悪く見てしまう場合もある。
知らない人は興味を持たない限り読み飛ばす傾向があると思う。

本作の冒頭では、
「仏陀が涅槃に入られるときには多くの動物たちが寄り添って惜しんだ」という
エピソードを、
昼寝を使っていきなり惜し気もなくギャグとしてぶちまけていたので読んで噴いた。
噴いたんだけど、そのときちらっと脳裏をよぎったときは
「あ、この面白さは人に安易に勧めて分かるんだろうか」という不安というか、
もしかして自分にしかウケてないんだろうかという非共有の笑いだった。

この作品の面白さを人に確認もしくは共有しようとするときは、
「あ、ここの面白さってこうなんだけどわかる?」という知識の共有が1段階必要なわけで、
その時点で半笑いになってしまうというか、
見た瞬間馬鹿笑いする人のテンションと違ってるというか、
まあなんていうか乖離してる気がするんだ。
たとえ自分の親に勧めるときだって
「これこれこういうエピソードがあるんだけどわらっちゃってさー」
というクッションを置いて相手が笑うかどうか確かめてから渡す、
というハードルがそこにあって何だか普通のマンガっぽくない。

とは思うものの、
ブッダもしくはイエスのどちらかのエピソードが分かると爆発的な笑いだし、
キリスト教なんかはイエスの話に限らずモーゼとか大天使とかに飛べるし、
この笑いを理解するために勉強してみるというのも悪くないと思います。(敬語)
手塚治虫の「ブッダ」を読んでおけば半分くらい笑うし、
新約+旧約聖書を読んでおけば残り半分くらい笑うし、
どっちも読んでおけば面白さは100%以上になるのは保証できると思う。

男2人を登場させるマンガはそれこそいっぱいあって、
ただ登場させてうろうろさせるマンガはあんまりない、と思う。
その点一見不自然そうだが、ただユルい日常を描いているだけなので不都合はない。
でも今朝、
「あーこれブッダもイエスもどっちもアホだけど、
どっちかアホ彼女だと思い込んで同棲してる話だと思えばしっくりくるんじゃね?」とか思い、
思い込んでみた。
結構しっくりきた。
イエスのほうがアホ彼女っぽい気がした。

そのうちいろんな宗教団体からクレームつきそうな気がしないでもないので
新刊は早く出して欲しいと思いました。

[PSP]MHP2G

まだ村☆3というヘタレ具合。
勿論HR1。

どういう進め方をすればいいとか、
どんな素材とどんな防具がいいとか、
まず仲間がいないのでさっぱりなまま進んでいる。

イヤンクック、フルフルあたりは慣れてきた。
体力上限が高くて苦手でしょうがなかったババコンガも、まあまあ。
砂漠攻略が若干苦手。
大きい飛竜もかなり苦手(リオレウスとか)。武器によるかもしれないけど。

視点回しに慣れが必要だと感じた。
とにかく、慣れとマップ知識が必要。
誰かに指導してもらえばいいのかもしれないが。

武器は太刀オンリーなので、弓かボウガンも使いたい。
特にボウガンは一部の討伐には楽だと聞くし。
サブキャラにアイテム渡したいんですがどうすれば…(できないのかな)。

オンラインゲームもそうなんだけど、
とにかく調合だの生産だのの材料リストがわずらわしい。
携帯あたりにぶちこんでPSPとつき合わせながらやると効率よさげ。

武器防具リストが最初から全部出ていれば、見た目装備を目指してがんばれるので
楽しそうな気がするんだけど、
オンラインゲームと同じがんばり方なのもつまらない。
でもどんどん新しいクエストを進めないと前に行けないというのは結構難しい気がする。
世の中のゲーム人口は増えているけど、みんなうまくなっているんだなと思う。
少し前ならこの難度のアクションゲームなんかは、
女性にはまったく受けなかったですからね…。
芸能人起用のCMも、ゲームに縁遠い層も捉えてる感じがするが
若干あざとい。

もともと攻撃職が苦手なのもあって、ずっとヒーラをやっていたので、
もう少しプレイヤースキルを磨く予定でクエストをがばがば進めたい。

[書籍]怪談でも日記でもないもの、と題する

幽談 (幽BOOKS) 幽談 (幽BOOKS)
価格:¥ 1,449(税込)
発売日:2008-07-16

せっかくなので画像最大で。

京極夏彦の新刊。
あまりこのblogには書いていないし、プロフィールに少し触れているだけだけども
わたしはこの京極夏彦の文体がそれは好きで好きで好きで、
そりゃ出世作の「姑獲鳥の夏」も好きだけど
初めて読んだのは「魍魎の匣」を読んであのトリックになんかもう入れ込んじゃって、
そんな感じでずっと京極夏彦の本は買っている。
新書と文庫版の違いを読み比べたり、加筆部分をチェックしたり。
16の年に読み始めたのでなんだかんだ言って10年はファンをやっている。

引越し作業をしながら、2008年7月の新刊としてこの「幽談」を東京にいるときに購入した。
装丁はかなり丁寧で、最初と最後に表紙裏の緑の和紙と同じ紙が少し使われていて
お洒落な感じ。
本文の最初と最後が和紙部分にひっかかるようになっている。

短編オムニバスで、1つの話に1つ焦点があって、
でも最後にはそれが霧散してしまう。
第三者視点の書き口もあるが、独り言形式のほうが多い。

短編だらけなのでさらっと読めてしまいそうだが、
所謂「京極堂シリーズ」と違い、オチがない。
これが今作の大きな特色だと思う。

蛇足になるけど、
我が家で契約しているケーブルテレビで「ミステリーチャンネル」というのがあって、
作家が自ら登場して本を紹介しているコーナーなんかがあって、
そこに京極御大自ら登場されてこの本を紹介されていた。

その放送を見ていて、一番納得したのは
「これは怪談でも奇談でもないものとしたい」
とおっしゃっていたことだと思う(顔ばっかり見てすげー適当に見ていたのであやふやだけども)。

わたしは「日記ではないもの」と感じた。
形式はむしろ日記に近いものがある。
手記と言ってもいい形式もある。
ただ、書いてある内容は非日常だが、書き手はそれを異常事態とは捉えていない。
物語の外から書き手の日常にアクセスしたときにだけ、
歪んだ戸惑いを感じるように書かれている。

秀逸だなーと思ったのは、
京極夏彦が本当に文体を選んで書いているのだと分かること。
今までに「京極堂シリーズ」とお遊びで書いたと思う「どすこい」辺りを
見比べてわかるように、彼は文体の効果を最大限に演出するような脚本を
考えているんだと感じ取れる。
敬遠されるような文体が主軸にあるものの、
バカバカしい話し言葉の雰囲気も得意だと思う。
口語の文語の雰囲気の特徴を良く捉えていて、効果的に使用されている。
言葉のスペシャリストというより、やはり言霊のように思える。

誤解が多いけど、京極夏彦は長い、分厚い、くどい本を書くのを決して得意としては
いないと思っている。
簡潔な文章を洗練された形で並べた結果、
「ひとを殺せる新書」と呼ばれる厚さの「京極堂」の本が毎回一冊一冊できる。

今回は本当にシンプルで、内容もよく考えられているけど、
読者のための「あっと言わせる秘密の暴露」はない。
わたしが大好きな、残酷、冷静、淡白、のどれでもない
「静謐」にふさわしい物語が少しの冷気を伴って淡々と綴られていくだけ。
不気味だけどあまり怖くない、オチはつかない。
非日常がつづられてそこでぷっつり終わる印象が多い。

暑さに歪む視界を少しだけ冷やそうと思ったらお勧めだと思う。

帯の表題作は「手首を拾う」。

以下、ネタバレ含む。他の作にも言及する。

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